悲しい特権

作成日時: 2020/03/12 19:47:40
 放課後の視聴覚室。
 誰もいないこの場所に、いつもお前はいる。



「澪」

「……」

「……れーいきゅーん。どした? また喧嘩か?」

「……なんでもない」

「ふーん……んじゃ顔あげてよ。俺澪くんの顔見たいにゃー」

「眠いんだってば、ほっといてよ」

「れーいー」



 澪が一人になりたい時に訪れる秘密の場所。
 時々自習してる奴がいたら、諦めて帰っちゃうみたいだけど。
 子供扱いを嫌う澪が、甘やかすことを許してくれる唯一の場所。

 待ち合わせてた筈の諒太がいなくて
 学校内をうろついてた時に偶然見つけたのが最初。
 あの日は普段と違う様子に戸惑って、咄嗟に諒太にメールして。
 休日と財布の中身を代償に、澪が落ち着くまで付き合った。

 教室に澪のカバンが残ってる時。
 ここに来ると、必ずいる。
 窓際一番奥の机で、一人寂しく突っ伏して。
 最初は近づくと逃げようとしたけど、最近じゃ俺の足音にも動じなくなった。

 向かい合うように腰掛け、夕日に照らされ輝くオレンジに指を通せば、さらりと流れるように零れ落ちていく。
 くすぐったいのかほんの一瞬震えた指先も、顔を上げさせるには至らない。
 その下に隠れた表情も、今では簡単に想像できる。
 震えた小さな掠れ声が、なによりの証拠。



「最近多いな。ここにいること」

「……だって」

「いいよ、言わなくて。なんとなくわかる」

「……僕が、悪いから……」



 本当は、ずっと見守ろうと思ってたんだ。
 お前の想いも、あいつの想いも知ってるから。
 本当は俺にだって、色んな葛藤はあったけど。
 お前らが幸せになるならって、身を引くつもりだったんだ。
 好きな子の幸せを願うのは当然だろ。

 俺はお前の笑顔を護りたかった。
 そのための覚悟はしてきたつもりなのに。

 恋を自覚させる後押しをしたのは俺。
 だけど、もっとよく考えるべきだったのかもしれない。
 相性バッチリだけど最悪な二人。
 笑顔の裏に隠された澪の深い闇に、弱さに、気づいてやれなかった。



「紫崎君は悪くない……僕が、信じきれなくて……」

「うん」

「僕、が……ッ……勝手に、怒っ……」



 あいつは何事も隠さない。
 真っ向からぶつかって来る奴だからこそ、澪の心は怯えてしまう。
 好意が強ければ強い程、弱い心は逃げてしまう。
 そうして勝手に傷ついて、答えを探してここに来ても、答えなんて無いから迷宮入り。
 終わらない悪循環。
 強いあいつには、きっとわからない。



「僕が、弱いから……だから……」

「澪は強いよ。充分。俺なんかよりずっと」

「ぅ……」

「澪は、よく頑張ってるよ」



 俺の想いは貰ってくれないのに。
 柔らかな髪を撫でることも、傍に寄り添うことも。
 泣き顔も、弱音も、全部、俺だけに許してくれる。
 残酷な人。これもあいつの特権にしてやればいいのに。

 日に日に増えていく涙の数。
 こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
 俺が身を引いた意味はなんだった?
 ああもう、いっそ伝えてしまおうか。
 この関係は、壊れてしまうかもしれないけれど。
 俺は嫌われ役でもかまわない。
 それで少しでも澪が笑ってくれるなら。



「あのさ。そんなに辛いならやめちゃえば?」

「え?」

「俺にしなよ。あんな乱暴者じゃなくてさ」



 ようやく見えた顔。
 宝石のように煌く瞳は、いつもよりも赤みを帯びていて。
 痛々しく揺らぐたびに零れ落ちる雫を、伸ばした指先でそっと掬い取る。
 通り過ぎた頬が冷たくて、ここに来てからの時間の長さを思わせた。



「なんであいつなの。俺ならこんなに澪を泣かせたりしないのに」

「夏輝君……」

「澪を独りになんてしないのに」

「……」



 いつも一人で抱え込んで。
 こんなに泣いてるのに探しにも来ない。
 澪の気持ちも知ってるくせに、酷い男。
 裏切者の俺が言えたことじゃないかもしれないけど。

 澪が笑ってくれるならなんだってするのに。
 世界中を敵にしたって構わないんだ。
 全てが終わったあの日から、俺は変わった。
 勇気の出し方を、澪が教えてくれたから。



「こんなに苦しんでる澪……見たくねぇんだよ」



 溢れ出す好きを掌に乗せて、白い頬をそっと撫でる。
 俺の声まで震えてるのが自分でもわかった。
 けれど、その手にそっと重ねられたのは、澪の小さく柔らかい手。



「……なんで、だろうね。ふふ……自分でも、よくわかんないや」

「澪」

「でも……ごめん。僕には……あの人しかいない」

「……終わらねーぞ。あいつは多分変わらない。
 ずっと痛いままだぞ、澪」

「いい。それでも……そんな人だってわかってて、好きになった僕が悪い」

「……」

「ありがとね、夏輝君。また気使わせちゃった」



 違う。気なんか使ってない。
 俺は本気なのに。
 久々に見た笑顔が、あんまりにも柔らかくて綺麗だから。
 それ以上の言葉は、言えなかった。

 伝わらない。
 届かない。
 どんなに本気で願っても、俺の言葉は貰ってくれない。
 いつまで経っても、一方通行。
 それでも……いいやと思った。
 澪がまた笑ってくれたから。
 彼の笑顔さえ守れれば、なんでもいい。
 隣にいるのが俺じゃなくても。



「へへ、やっと笑ったな。もう大丈夫か?」

「うん……大丈夫」

「ま、俺からすりゃ紫崎も恩人だしなー。
 けど、今度澪泣かせたらマジで奪うからな、覚悟しとけよ。
 って言っといて」

「えー、自分で言いなよそれくらい」

「いやんなっちゃんぶっ飛ばされちゃう」

「夏輝君喧嘩弱そうだしねー」

「平和主義者だかんな!
 ……あれ、澪? ど、どした?」



 小さな音を立てて席を立った澪。
 そのまま俺の前に回り込むと、おもむろに膝に跨ってくる。
 先ほどまでよりも近いオレンジ。
 甘い香りは強くなったけど、後ろ向きだから表情は見えなくなった。



「……なに、もしかしてまた甘えたいモード?」

「そんなんじゃないし。ただのお礼」

「随分と可愛いお礼だこと。んじゃ、落ち着いたら帰るぞ」

「一緒に帰ってもいい?」

「今日は約束も無ェから。送るよ、家まで」

「逆方向なのに?」

「たまにはな」



 そのまま抱きしめても大人しくしてる様子に、思わず苦笑いが漏れる。
 恋人でもないのに気許しすぎだぞ、とか、ここで唇でも奪ったら気づくかなとか。
 色々思うことはあるけれど、言葉にする理由もなくなったから。



「玉砕させといて、ずりぃの」



 肩口に顔を埋めて、片手は優しく頭を撫でて。
 甘えたいなら受け入れよう。
 許してくれるなら甘えてしまおう。
 不安定な関係でも、少しでも隣を歩けるなら。

 弱音も、泣き顔も、こうして抱きしめることも。
 今だけは、俺だけの悲しい特権。
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2020/03/12 19:47:40
最終更新日時:
2020/03/12 19:47:40
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