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【掌編群:アカイ・グランドマスターとその周辺】
作成日時: 2020/01/26 03:09:15
■最初のグランドマスター【UDCアース、紀元前1100年。】
原初の音楽とは宗教的儀式だった。
姿かたちの無い者と交信するためのコミュニケーション手段であり、
その方法や手段は選ばれた家系のみが受け継ぐ奥義だった。
シリアと呼ばれることになるその地の都市国家ウガリットで、
最初のグランドマスターが誕生した。
彼は産まれた時から喋る事が出来ない。
声を出すたびに喉を絞められたからだ。
赤ん坊の頃を思い出すとクラクラとした酩酊感を覚えるのはそのせいだろう。
グランドマスターになれなかった赤ん坊は山のようにいたが、
全て豊穣の神バアルが飲み込んでいってしまわれた。
生き抜き、やがて四肢を使えるようになると、彼は仮面を被せられた。
死んだ大人や、体の一部が欠けて産まれてきた物も仮面をかぶせられる。
仮面は神の側である事の証だった。
それからは飯の食べ方よりも弦楽器の使い方を覚えさせられた。
覚えさせられると言っても、それは持ち方だったり、指の使い方だけで、
曲を覚えさせる事は無かった。
理由は簡単だ。曲なんて無いからだ。
生きている間、ずっと彼は館に籠り、弦楽器を爪弾いた。
館で音がなり続ける限り、イナゴが田畑にやってくることは無い。
音が鳴り続ける限り、バアルは田畑と人々を守った。
やがて、彼は気づく。
彼がある特定の順番とタイミングで音を鳴らすとバアルが怒るのだ。
それは奇妙だった、音を鳴らすのをやめようと思っても止められないのだ。
ある特定の音を弾くと、強烈な使命感のような物が彼を襲った。
1つの音が、また別の音の従者であるように感じられ、
また別の音はそれらすべてを成り立たせるような音に思えた。
彼は繰り返し、その連続する音を繰り返した。
やがてバアルの声は聞こえなくなった。
数年後、彼は館から出て行った。
山で暮らす彼は、それから死ぬまで自身が奏でた、連続する音を石板に印し続けた。
ウガリットはしばらくして海の向こうからやってきた人々に征服された。
都市の人々は誰もバアルの名を呼ぶことは無かった。
最初のグランドマスターは生涯、仮面を外さなかった。
■グランドマスター・フラッシュ 【UDCアース、1960年代】
1960年代のサウス・ブロンクスにようやく平穏がもたらされた。
ブラックスペードと呼ばれた若者たちのギャングが街の治安を蘇らせたのだ。
それを率いるアフリカ・バンバーダと呼ばれる若者の「武器」は音楽だった。
荒れた若者一人一人を仲間に、自身の音楽活動に加えていき、遂には暴力を用いないまま街を救った。
ジョゼフ・サドラーがクール・ハークと固く握手を交わすと、
彼のゴツゴツした手が傷だらけである事が分かった。
巷で噂のクール・ハークのパーティーは信じられない程盛況で、
あちこちで発生…と呼ぶにふさわしいような凄まじいダンスを皆していた。
彼がジェームズ・ブラウンの曲から取り出したブレイクビーツが体を揺らすと、
ジョゼフの決断は素早かった。
「俺にもDJを教えてくれないか。」
ジョゼフの言葉にクール・ハークは破顔して頷いた。
それからジョゼフがグランドマスター・フラッシュとなるには時間がかからなかった。
彼と彼の親戚であるグランドウィザード・セオドアが編み出したテクニック…
「スクラッチ」と呼ばれるビーツに合わせてレコードを擦る事で
ノイズ音を出す技術は、たちまち人々を魅了した。
それはDJという、既存の音を再生するという役割の埒外にある、
明確な演奏方だった。
それが彼を更に高い創作の次元へと誘った。
DJプレイだけではなくサンプリングによるトラックメイク、やがて作曲へと…
まるでバルバトスの笛の音のようだ、と彼は思った。
夢から醒めたように、深夜彼は自分の部屋にいた。
空気は冷たいのに、異様に汗をかいていた。
彼の出身地は英国はバルバドス島ブリッジタウンだ。
バルバトスという悪魔とは縁もゆかりも無いが、名前が似ているせいだろうか、
島のどこにいても子供たちが歌う、悪魔バルバトスがやってくるわらべ歌が聞こえてきた。
悪魔バルバトスはハーメルンの笛吹きの原型となった存在だ。
街にいる子供を笛の音で連れて行ってしまう。
まさに今の自分のようじゃないか、ひたすら自分は音を追い続けている。
だが追えば追うほど、音は遠ざかるのだ。
そこに行くにはDJやサンプリングでは距離が短すぎた、
既存の物の作り直しではない…曲を、音を創造するという行為。
それで更に跳ぶ必要がある。
ただ、何をしても彼が満ち足りることは無かった。
まるで全て決められたお話のように、彼は感じていた。
彼はゆっくりと、物置へやってきた。
物置?どうしてそんな所にやって来たのだろう。
まるで深海だった。
物置の中はシンとした暗闇で満ちていた。
急にその時に思い出したのは故郷と…彼自身のルーツの事だ。
彼の先祖は移民だった。
元は大陸の人間で、各地を征服しながら回ったらしい。
先祖代々に伝わるその時に略奪した血生臭い物が、そういえばこの物置に置かれているのだ。
彼は物置の奥、一番闇が濃い一角へとやってきた。
そこにあったのは小さな箱だった。
箱には黒い、気味の悪い仮面が置かれていた。
グランドマスター・フラッシュの葬式には色んな人が集まった。
サウスブロンクス中の若者たち…
ブラックスペードを束ねていたアフリカ・バンバータと彼に付き従うクルー達も、
一人残らず。
葬式に参加したクール・ハークはたまたま棺の中の彼の死体を見てギョッとした、
気味の悪い仮面をしていたからだ。
彼の母親が言うには死んだときから着けていた物で、何をしても仮面が離れないらしい。
仮面といえば、アフリカ・バンバーダも大仰な衣装に奇妙な面を着けていた。
名前通り、彼は自身の民俗的なルーツであるアフリカ文化を敬愛していたし、
それはクール・ハークとグランドマスター・フラッシュで作り出した音楽活動…ヒップホップにも大きく顕れていた。
ヒップホップ文化のアメン=ラーという俗称に違わない、
古い神を思わせる意匠の仮面をしたバンバーダがそっとクール・ハークに近づいて、
虚ろに呟いた。
まるで神託を告げる預言者のようだった。
創作とはなんだ?例えば…なぁ、運命というやつがあるとする。
この世の全部が決まりきったとする…するとだ、俺やアンタがしているのはなんだ?
全部決まりきっているなら、この頭で考えている、あぁ次のバースはこう歌おうとか、
あるいはこの曲のコードはベースは…なんて全部意味がないじゃないか。
だってそうだろう、そんな物はもうすでにあるんだから。
全部決まりきっている物を、まるで今思い出したかのように俺達は
自分が創造主であるように振舞って、"再現"に努める。
全部…すべての曲がもうあるなら、俺達は何をする必要もないじゃないか。
後はもう皆、過去を思い出せばいいって話になる。
過去とはなんだ、バンバーダ
バンバーダがじっとクール・ハークを睨んでいた。
仮面の奥の眼は静かに燃えていた。
「倒すべき獣さ。俺達が戦っていたのはこの街なんかじゃないんだ。
もっと昔からある…人間と神の業だよ。」
気づくと彼に付き従うように、クルーが集まっていた。
それに先ほどまでに葬式に参加していた人々は影も形も無かった。
「俺達は…獣を狩る猟兵なんだよ、ハーク。」
棺が爆発したかのように壊れた。
中からは1つの仮面が顕れた。
激しい音と閃光がぶつかり、それより先はクール・ハークは覚えていない。
アフリカ・バンバーダは以来姿を見せず消息を絶つが、
後の時代節目節目で似たような人物が人々に目撃されるようになる。
■ザ・フューリアス・ファイヴ 【UDCアース、20××年代】
この世の音楽産業は計画されていた。
はるか古代より続く大きな計画、全ての音の連なりは最初のグランドマスターが
記した石板の通りに続いていた。
もうすでに自分が何者かも分からないな、と現在のグランドマスターは
机の上に置かれた仮面を見下ろした。
最初の肉体は黒人の男だったが、今の彼の肉体は白人の男だった。
彼は(性別などは無いが便宜上彼と呼ぶ)、仮面だった。
何度となく人間に寄生し、その精神と肉体を奪い、目的に邁進し続けた。
目指すべきは最初のグランドマスターが記した石板…
この世全ての曲の構成が記されている、あれの埒外にある音を追い求め続けている。
全てはあの日の夜に感じた託宣に近い、音を追う感覚を充足させるための手段だった。
それが最初の肉体の男が目指した物だったとしても、今となってはどうでも良かった。
肉体を変えるごとに、グランドマスターは自身の勢力を伸ばし続けた。
特に、世の音楽業界的なコネクション。
ジャンルを問わず、グランドマスターは肉体を変えるごとに、
「音楽家」と名を馳せ続けた。
ある時は天才ピアニストだった。ある時は現代音楽家の革命児だった。
またある時は類まれなる歌手だった、その次は作曲家、更に音楽プロデューサー…。
この世の音楽と呼べるものは彼からすると全てサンプリング…
つまりは最初のグランドマスターが記した石板に書かれた物の流用品でしかなかった。
それ故に、石板の内容を知っている彼からすると容易い事でしか無かった。
今の彼はこの世全てのヒットチャートを作っていた。
音楽業界のハスラー。
ジャンルを問わず、名は伏せたまま、彼は有名音楽プロデューサーに
石板に記された音楽を、そのまま渡すだけでいい。
それだけで人々は熱狂する。
理屈ではなく、古き時代、神とのコミュニケーションに使われていた旋律が、
DNAに刻まれた記憶を呼び起こし否が応でも人を惹きつけるのだ。
そこで彼は気づいた。
人と神に依らない、縛られることのない、異形であるならばどうだろう。
異形であるならば、人と神の関係性は白紙だ。
原初の音楽が人と神の関係性に依るものであるならば、
コトワリから外れた人ならざる物が生み出した音…
それが最初のグランドマスターが記した石板の範囲外の音楽になり得るのではないか?
業界では、いまだにグランドマスターで通していた。
最初にこれを名乗った宿主の男とは関係はない、
ただ単に、偽りのない名前であったからでしかない。
彼は名実共にグランドマスターだった。
彼が秘密裏に、世界中に発した号令はこうだ。
「グランドマスターが異形の弟子を欲している」
やがて3つの異形を集めた。
一人は東南アジアの山に捨てられた男子。
死者の声を聴き、またその身に降ろすことで死者に喋らせることが出来る。
彼の色は黒。
一人はロシアの漁村で旧き神の依り代として捧げられた少女。
身体中に鰭や鱗があり、手には水搔きがある。
幼い内から奪い取り、村は誰とも知らず滅ぼした。
彼女の色は青。
もう一人はアメリカで見つけた黒人の青年。
炎や光を自在に操り、幻を見せる事も出来る。
彼だけは向こうから弟子にして欲しいと接触があった。
彼の色は黄。
あと二人。
一人は、彼の肉体の子供だ。
彼が前に寄生していた女が死んだ後に、子宮を取り出し、
国家機関に頼み人工授精を行った。
死者と半人半異形の彼との間で出来た子供は立派に異形であり、
生まれつき音を無音に出来た。
彼女は…彼女は生まれつき白かった、
アルビノという存在らしい。
もう一人は、彼自身の複製品だ。
猟兵と呼ばれる存在に何度となく襲撃を受けたが、同時に彼らとの対立で知り得たのは、
この世界よりも更に広い世界の知識だった。
ヒーローマスク、彼のような存在はそう呼ばれるものらしい。
どうやら普通のヒーローマスクは宿主の人格を保つようだが、
彼は肉体の主導権を得るために肉体の人格を破壊していた。
彼からすれば、共存せずに支配下におかない事が考えられなかった。
また彼と同等の力を持った猟兵たちを飼いならすUDCと呼ばれる組織、
旧き神や邪神と対立する機関の技術を盗み、彼自身の存在の研究を行った。
こうして出来たのは彼と同じ存在のマスク。
人の精神に寄生し、発生した音を操る能力を備える、人造のヒーローマスク。
彼の色は赤。
グランドマスターは弟子達に名前として、色を与え、育てた。
ブラック・グランドマスターはその身に死者を宿し歌い、
あるいは鏡の中にのみ映る亡霊たちに叫ばせた。
ブルー・グランドマスターは水中でのみ聞こえる不思議な音を奏で、
水を楽器として自在に操った。
イェロウ・グランドマスターは火の瞬きや、
一瞬の閃光が生むノイズを組み込んだ不思議な響きの曲を作った。
ホワイト・グランドマスターは…彼の娘は完成されていた。
音楽理論や、各楽器の扱い方から、最初のグランドマスターの石板まで、
彼自身が所持していた知識全てを娘に伝えた。
娘は幼い頃から、水を飲むように知識を身に集め、
それを自分の物とした。
何故そんな事をしているのか。
彼自身は自分の命の終わりがそう遠くない事を実感していた。
もうすでに彼の意識は殆ど、仮面に無い。
今の肉体の檻に閉じ込められ、その肉体も余命幾ばくも無い状態となっていた。
昔はある程度の期間は仮面を着けていないといけなかったが、
次期にその期間が短くなると、どんどん人間の身体に意識が根を降ろしていった。
今となっては、彼はみすぼらしい老人と化している。
じきに彼の存在が終わったとしても、グランドマスターは有り続けなくてはいけない。
最初のグランドマスターが作った、音の檻から出るためにはグランドマスターの存在は必要不可欠だった。
また同時に彼の存在に依存した現在の音楽業界にとっても、
彼の死は業界の死を意味する。
だから彼女がいる。
じきに死んだとしても、彼女がなすべきことをするだろう。
レッド・グランドマスターはどうだろうか。
いや語るまでもない。
あの自身の複製品の事を考えると、忘れかけていた憤怒の感情が彼に戻ってきた。
音を操る力を持つヒーローマスク、そんな物に期待した自分に失望すらする。
絶望的にレッド・グランドマスターはあらゆる能力が足りていなかった。
彼の教えを理解せず、常にオドオドとし、
貴重な能力も演奏や作曲に生かすことが終ぞできる事が無かった。
基本的な音楽理論や様々な知識に加え、
彼自身の奥義ともいえる経験や知識を、他のグランドマスターが理解しても、
レッドだけは理解することが出来なかった。
便宜を利かし、レッドに教えるときはホワイトにマスクを…彼を被せた。
宿主の肉体や知識が作用するかと思ったが、
レッドに限ってはそんな事が無く、余計に失望を覚えた。
何故か、簡単だ。
音を操るだけの存在でしかないからだ。
他の能力は凡人並、いや凡人よりも劣るのだから。
あれは、グランドマスターではない。
■赤井薫(17歳) 【UDCアース、20××年代】
わたしは何不自由なく育った。
田舎だけど家は金持ちで、だいたいお願いした事は叶えてもらえたから、
他の家の子も何となくそうなんじゃないかって思って
「そんなに欲しいなら言って買ってもらったらいいじゃん」
ってひとこと言った瞬間、わたしは幼稚園から高校までいじめられ続ける事になる。
それだけが理由じゃないけど、それだけでも十分だし、わたしはいろいろと他より浮いていた。
田舎はどこもかしこも濃い緑の匂いがして、どこ行っても背の高い山が視界を遮ってしまう。
だから、ここから何処にも行けないんだろうな、とわたしはお腹にモヤモヤをずっと抱えたままでいる。
どんなに幸福な時でもいじめられてボロボロで泣いちゃった時でも、
見える景色が同じなのが本当に腹立たしかった。
だからつい神様に私はお願いしてしまった。
どんな犠牲を払ってもいいのでここから連れ出してください。
神様は願いをかなえた。
高校生にあがって私は自分の弁当が捨てられて仲良かった子が話しかけてこなくなって
写真撮られたのがネットにあげられたのを知った瞬間に家から出られなくなる。
マジで無理という感じで、制服を着て家から出ようとしてもゲーって吐いちゃって床にへたり込んでしまう。
力が入らないし、見えるもの全てがぐわんぐわん揺れるのだ。
そんな感じでしばらく家で過ごしていた。家は良かった。
わたしが浮いた事いっても笑う人はいないし、音楽を大音量で聞ける。
「晩飯はばあちゃんの生活保護 あの国と比べたら贅沢な方」
とか大声で歌う。AnarchyのFateっていう曲で、めちゃくちゃ良い。
治安の悪いラップを歌いすぎたせいか、お母さんがとうとう私に引っ越しを告げる。
ヤッターって思ったけど、私はまた夜になるとめちゃくちゃになってしまった。
新しい場所が怖いのだ。
知らない所よりも知っている地獄の方がマシって事なんだろうな、とか
ギャーギャー騒ぐ私自身の感情とは別にやけに冷静に考えてるけど、
お父さんが羽交い締めにしてなんだか落ち着かせる薬を飲まされて眠ってしまう。
それから引っ越しの当日、私と父さんと母さんを乗せた車が
あの視界を遮った山が写る景色を追い過ぎようとした所で事故にあう。
向こう側から来たトラックとぶつかる。
眼が覚めたら真っ白な天井がまぶしかった。
しばらく目を開ける事しかできなくて、体もそうだけど、耳が聞こえなかったり、
鼻が利かなかった。
それまでもやもやしていた頭が、しばらくするとすっきりとするようになって、
わたしは色々と気がついた。
だけれども私はもう何も思わなかった。
わたしの全部が過ぎ去ってわたしの身体の上を通って行って、音もなく消えてしまった。
車いすを押されて鏡の前で仮面みたいに顔を覆っていた包帯を取ると、
そこには傷の無いつるりとしたわたしの顔があった。
新しいわたしが過去のわたしを見ているようだった。
■ホワイト・グランドマスター 【UDCアース、20××年代】
「あなた、おじいさまに破門されるわ」
私は鏡に写る、私がガスマスクを付けた姿に向かってそう言った。
つまるところは…私が付けたガスマスクである、レッド・グランドマスターに言ったのだ。
「それは…どうしようか…。」
信じられない程頼りない、彼の声が私の頭の中で響いた。
本当は鏡なんて見なくてもいいのだが、これが一番やりやすい。
鏡が無いと、延々と頭の中で彼と私の声が響く事となり、
彼と私が混ざっていくようなおかしな感覚が出始めるのだ。
レッド・グランドマスターは私と同じ歳に製造されたし、
産まれた頃からだいたい一緒だ。
稀にブルーやイェロウ、ブラックが被る事もあるが、
だいたい私…ホワイト・グランドマスターだった。
「私たちザ・フューリアス・ファイヴがフォウになっちゃうわけね…。」
「一応、まだ決まって無いよ。」
「諦めた方がいいわ。おじいさま、もう死ぬもの。」
鏡の中にいる私の形の良い眉が悲しそうに八の字になるのを見て、
ちょっとだけ笑ってしまう。
私の父であるグランドマスター・フラッシュは既にヒーローマスク
(って名前もおかしい、あんなの呪いのお面もいい所だ。)
としての力を持っていないようで、ただの人間に成り下がっている。
昔はすごい力を持っていて、宿主の人間がいなくても猟兵を返り討ちにしていたらしいが、
にわかには信じられない。
「心配しないでいいわ。ブルーもイェロウもブラックもいらないもの、私一人で充分。
おじいさまが死ねば私がただ一人のグランドマスターになる。」
「ねぇ…それ僕は?」
「あなたはただのレッドになればいいんじゃないかしら…?」
「僕はさ、人間じゃないから…誰かに被ってもらわないと困るんだけど」
「私が定期的にかぶってあげるわよ。…それか適当な人間拉致して、人格奪う方がいいかしら?」
「そんな!冗談でもやめてよ!君、それ本気でやるでしょう。」
伊達に一緒に生きてきただけはある。
結構私はそのつもりでいた。
「だって触れ合えないもの、このままだと。」
そう言って私は私の身体を抱く、すると鏡の中の私の顔が若干赤くなった。
マスクのくせにいっちょ前に恥ずかしがるのだから、おかしなものだ。
裸だって見ているし、彼が完全に肉体を奪っている時は自分の身体のようなものだろう。
そうだ。私はレッドの事を愛している。
というかそもそも私たちに誰かを愛する選択肢等、はなから十全に無い。
不気味な化け物の父親、同じ苗を持ちながらもお互いをライバルと敵視する同門の化け物ども。
一度も外の世界での生活を味わったことが無い私とレッドにとって、
本当の意味での味方はお互いしかいないのだから。
「ホワイトは…どうするの?グランドマスターを継いだら?」
ベッドの上に腰を下ろし、鏡を見据える。
私とレッドが鏡を通してお互いを見据える形になる。
「おじいさまと同じことを続けるわね。化け物を拾って教育して、次のグランドマスターを育てる。」
「…本当にそれでいいの?」
「他に何ができるの、私たちに?」
私はベッド横の台に置いたケースから真っ白いバイオリンを取り出す。
このバイオリンは初めておじいさまに貰ったものだ、幼少期からずっと使っている。
私と同じ色をしたバイオリン。
静かに構え、弓を弾くと音が空間を満たした。
やがて音が静かに、鋭利に、丸く、大きくなり、小さくなり、消えた。
レッドの能力だ。こうやって私たちはたまのセッションを楽しむ。
「きっと色々出来るよ…僕じゃなくて君だったら。」
「ねぇ…あなたはあなたが思ってるより、ずっと多くの事が出来るわ。」
「…例えば?」
私は立ち上がって後ろを向く。
鏡を見ないで、頭の中でレッドがベッドの上で腰を下ろしてる姿を思い描く。
「私ね…たまに考えるの。あなたが私の肉体を奪って、ここにいるやつら全員殺しちゃって、
このお屋敷から出ていくの。それで何処か知らない土地に行って、ひっそりと生きる。
訳の分からない理想のための音楽とは関係なく、私たちはたまにこうやってセッションして、
一緒に暮らすの。周りにいろいろな人がいて、皆私たちの事を受け入れて愛してくれるの。」
「…そうか。」
振り返ると、鏡越しにレッドと目が合う。
「本当はそうするべきなのかもしれないね。僕も君を幸せにしたいんだ。」
「やらなくていいわ…。あなた、優しいから好きなの。」
「ごめんね。」
そういうと鏡の中で、私が、レッドが、片目からスーっと涙を落とす。
言ったことが全部本心ではないが、殆どは本当の事だ。
私は彼にずっと助けて欲しい気持ちと、申し訳ない気持ちがある。
本当だったら彼はもっと前にここを出る事が出来たはずだ、
けれども留まっている。
私の事を愛しているから。
鏡の中で私が片目をゴシゴシとぬぐうと、彼の、私の眼が緊張でこわばる。
「おじいさま…」
鏡に、私の後ろにおじいさまが写っている。
グランドマスター。
私たちの師匠であり、私たちを作り上げた究極の音楽家。
しかしそれも微塵も感じられない程、おじいさまの顔は土気色だった。
私は振り返る。
と、前のめりに音をたてて、老人の身体が倒れた。
あぁ、死んだんだな、と私は思った。
いくつも体を乗り捨て、世界を覆うコネクションを作り上げた結果がこの幕切れと考えると、
笑ってしまう程あっけなかった。
「随分、時間がかかってしまった。」
落ち着いた理性的な男性の声だった。イェロウ・グランドマスター。
唯一自分からおじいさまに弟子入りを志願した、異形の能力者。
扉口に倒れたおじいさまをまたぐように、ぬっと彼が私の前に現れた。
「グランドマスター・フラッシュの力が弱まるまで待っていたが、中々にしぶとかった。」
私は放心したような声になる、けれども毅然として彼をにらむ。
「あなたは…それで私たちをどうするの?」
イェロウは昔から口数が少ない上に、感情も表に出さない。
けれど、私が訪ねた瞬間、彼の顔を覆う無関心の鎧に変化があったように見えた。
ややあって彼が口を開く。
「ホワイト…君は、グランドマスターか?」
「え…?」
「UDC組織の依頼は、グランドマスターの排除だ。」
拍をおいて、頭が回転する。
おじいさまが死んだ今、ここにいる本当のグランドマスターはただ一人だろう。
「レッド!」
私は彼を呼ぶ、いつもそうしているように。
イェロウが拳を振りかぶると、周りに眩い炎が集まった。
私の脳みそは酸素を求め、状況に慌て、感情に任せようとする。
だから彼に任せる、彼は私を助けてくれるから。
レッドが私の身体の支配権を奪い、手元のバイオリンを一閃。
瞬時に発せられた音が、鋭く刃のように鋭利になり、イェロウを襲った。
「…手ぬるい。」
発せられた音ごと、焔がかき消した。
目の前で爆発が起こり、私は、私とレッドは吹き飛ばされる。
部屋にある窓を突っ切り、宙を舞う。
レッドは私を助けられない。
それはずっと前から分かっていた事だった、
だってそれは私自身の願いでしかないから。
私の失望と諦めを読み取ったのかレッドが何か言おうとする。
手に取るように分かる。ずっと一緒だったからだ。
たぶんまたごめんって言うんだろう、君を助けられなくてごめんと。
けど、私は不思議な事に安堵している。
これから起こる事に、感謝すら覚えるのはきっとこれがもっと早くやるべき事だったからだ。
私が生きている以上、彼がここに捕らわれる理由となるのであれば、
答えは簡単だ。
「ダメだ!」
声が聞こえたが、それを振り切る。
昔レッドと喧嘩したとき、彼がおじいさまに教えを受けている時に、
わざと肉体の主導権を奪ったことがある。
合意の上でない強制的な意識の支配は長く続かないが、彼が意識上にいても一瞬だけ肉体の自由が効く。
それでわざとレッドを失敗させて、ホワイトのせいです、って彼が言うと更におじいさまはレッドを叱った。
今度は誰も叱らない。
私は、初めての私の意思で、誰かを救うのだ。
それがこのどうかしている人生でどれ程幸福なのか、彼は分かってくれるだろうか?
分からないでまたきっと泣いてしまうんだろう。
けど、それでいい。それが大好きな人だったから。
私はマスクを外す。
自分の一部をもぎ取る様な気怠さごと、私は屋敷の堀の向こうに広がる海まで、
大きくマスクを放り投げる。
それからはきっと、彼が生きてくれだろうから。
■赤井薫(20歳) 【UDCアース、20××年代】
夕陽が沈むのをバルコニーで見ながら、
私は耳元で流れる音に身を沈ませた。
舐達麻が
「たかだか大麻がたがた抜かすな」
とバースを蹴る。
過去に聞いていた音楽を聴いても心が動かないのは、
手足の筋肉と一緒だった。
施設は海辺にあって、時間になると介助士さんが私たちをバルコニーに
並べてくれるのだ。
海が海中のゴミとか夕陽を反射させて紅く燃えていた。
その色がまるで人の身体の中みたいだった。
あれが私や父さんや母さんの中に流れていて、今はもうない、
と考えるととても不思議だった。
耳元でどんなに大きくしても明瞭に聞こえない、
何人ものラップスター達は何を伝えたかったのかも今は覚えていない。
ただ、わたしが持っていたからという理由だけで、
それが当たり前の親切であるかのように介助士さんが耳にワイヤレスイヤホンを付けてくれるのだった。
本当は聞いてもしょうがないから、聞きたくも無いのだけれど、
善意を無下には出来ないし、どうでも良かった。
ぼーっとわたしは景色を見る。
見ていると、そういえばあの故郷の田舎にいた時の景色を思い出す。
あの時は何処にでも行けたが山がふさいでいて、今は何処にもいけないけれど視界はとんでもなく明瞭だ。
皮肉やジョークだ、これがまるで私の人生なんだろう。
…
そうなの?
誰かの声が聞こえた気がした。
何者かに問いかけられるような、おぼろげな声だった。
声は海から…いや海を輝かせる光の袂から出ていた。
何かが水面に揺れ動き、陽光を乱反射させてキラキラと輝いている。
僕はそう思わないよ。
と、また。
誰かの声に揺さぶられるように私は身をよじって、車いすから転げ落ちる。
隣にいたおばあさんが驚いて大きな声をあげる。
「あれ…あなた大丈夫?」
「いや、大丈夫なワケないですね!!」
あれ以来に出なかった大きな声が腹から出た。
顎をひっかけるように、前に進む。
身体がバルコニーの階段を転がり、口の中に砂浜の砂利が入る。
眼の中に水面に浮かんだ何かが反射させた、光が刺さる。
「私…私はクソ、マジでむかつく…事故とかだけじゃなく。」
身をよじって私は進む。光へと。
今度ははっきりと見える。海面に黒い何かがたゆたい、それが光を反射していた。
それだけじゃない、アレは私に何かを言いたいのだ。
今の私の姿は殆ど芋虫だろう、あの時にわたしをいじめてたアイツらが見たらまた笑ってくれるだろうか?
「全部私が悪いみたいな…生まれた所とか…性格とか…だから、自分もそうで」
身体が悲鳴をあげる、動かしたことのない部分を動かした反応か、鋭い痛みが私を襲う。
「周りの環境とか…あの山とか…全部、ほんとに全部」
けれども何だろう、私の身体は動くと熱を帯びる。
炉心に火がともる。体に流れる血が沸騰し、酸素を回し、心臓を脈打たせる。
耳が鋭くなり、聞こえる。音楽が聞こえる。
昔聞いたいろんな歌の、ラップの、ヒップホップの歌詞を思い出す。
「ムカついてて、ずっと怒ってるんだよ!わたしは!!」
そうだ、皆怒っている、なんだかどうしようもないものに対して、わたし達はずっと怒っている。
それは人生だったり、神様だったり、運命だったり、とにかくわたし達の人生に大きく横たわる、
大きくてどかせない物だ。
あの田舎の山みたいに。
みんなあれに挑んでて、わたしは特にコテンパンにされたのだ。
だから悔しい。
わたしはわたしの人生を思う通りに生きる権利があって、それを訳の分からないものに邪魔されたくなんかない。
だから大声をあげるべきだった。
たぶんもっと私はお母さんとお父さんに対して声をあげて悲しんで、良くなくても誰かに八つ当たりをするべきだった。
だってそれがきっとヒップホップだ。
全員人生に挑んで、その断末魔でも怒りの声でも、自分の人生はこうだってはっきりと顔の見えない人に伝えなくてはいけない。
そうでもしないときっと神様はわたし達の声を聞かないだろう、お前は不幸になるべきです、終わり、なんて納得して良いわけが無い。
生きるってそういう事じゃないか?違うのか?
そして、わたしは、海の光へとたどり着いた。
■アカイ・グランドマスター
悲痛にも動かない四肢をもたつかせ身じろぎして海へと向かう、
女の姿があった。
寄せては返す海岸に近づき、やがて波に飲まれていった。
ややあって、燃えるような海から手が突き出、
夕陽を背に、人型のシルエットが起立する。
動かないはずの手足を動かし、ゆっくりと岸へ上がってくる女…
いや、青年の顔には、ガスマスクが付けられている。
濡れた体のまま、青年はゆっくりと夕陽を仰ぐと、静かに尋ねた。
「どこに行きたいんだい?何処だって連れて行ってあげるよ」
基本情報
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2020/01/05 05:32:33
最終更新日時:
2020/01/26 04:11:19
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■最初のグランドマスター【UDCアース、紀元前1100年。】
■グランドマスター・フラッシュ 【UDCアース、1960年代】
■ザ・フューリアス・ファイヴ 【UDCアース、20××年代】
■赤井薫(17歳) 【UDCアース、20××年代】
■ホワイト・グランドマスター 【UDCアース、20××年代】
■赤井薫(20歳) 【UDCアース、20××年代】
■アカイ・グランドマスター
更新履歴
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