PBWめも
傷
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雨の日は嫌いだ。 家から出られなくなる。 あいつから逃げられなくなる。 僕も、母も。 また一つ傷が増える。 今日は腕に火傷の痕。 今も階下では物音が続いている。 酒に酔ったあいつが、物を壊す音。 ポケットに手を入れれば、転がり落ちるクシャクシャの札束。 あいつから逃げる時に盗んで来たもの。 これで新作のゲームでも買ってやろうか。 それくらいの褒美が無きゃやってられない。 窓を開け湿った空気を吸い込む。 心を染める闇に潤いを落とすように、目を閉じて、深く、深く。 風に乗った雨粒が瞼を冷やす。 途端脳裏に響いた低い音。 同級生とは思えないほどに落ち着いた、大人びた声。 『お前、寂しい奴だな』 ああもう、煩いなぁ。 お前には関係無いだろ。 『本当は友達になりたいとか思ってんじゃねぇのか』 僕が、あの子と? 馬鹿言わないでよ。 あの子はただの玩具だよ。 それ以上でも以下でもない。 『なんなら俺が友達になってやろうか』 ふざけないでよ。 そんな事微塵も思ってないくせに。 お前は僕が嫌いな筈だ。 お前のお気に入りを毎日苛めて楽しんでるんだからさ。 知ってるんだよ。 お前が素直にこのグループに入った理由。 僕より格上でありながら、リーダーの座を蹴ってまで一匹狼を貫こうとする理由。 全部あの子の為なんだろ? あの子を、護りたいとか思ってんだろ? 似合わないね。 そんな、王子様みたいな役。 僕とお前は同類だろ。 僕らに似合うのはせいぜい魔王だ。 心に悪魔を飼い慣らした、最低最悪の、ね。 そういう輩は孤独と決まっているんだ。 だから友達なんて、そんなもの。 「……要らないよ」 呟いた声は思っていたよりも小さくて。 自分でも驚くくらいに震えていた。 ああ、苛々する。 僕が欲しいのは奴隷だけ。 思い通りにならない人間なんて、僕の人生には邪魔なだけなんだから。 札束を財布に入れ、同時に携帯を取り出す。 選び出した宛名には栗花落澪の文字。 そうだ、こういう時はあの子で発散するに限る。 どこに呼び出してやろうか。 コンビニの裏? それともビルの屋上? どこでもいい、とにかく人気の無い場所で。 ――今から時間作れるな? 遊んでやるよ。 打った文字を確認もせず送信する。 誰が見てもわかるだろう脅迫文。 その後に待つ地獄を知る者ならば、こんなもの送られたら怖いに決まってる。 友達なんて向こうから願い下げでしょ。 そう、普通なら。 鳴り響いたメロディを遮るようにボタンを押す。 開かれたメール本文には、たった一行。 ――いいよ、どこで待ち合わせる? 本当に、腹が立つ。 なに考えてるのかわからない。 誰を相手にしてるか理解してるのか? だって、これじゃあほんとに。 馬鹿みたいだ。 どいつもこいつも。 そうだね、そっちがそのつもりなら乗ってあげるよ。 どうせならあいつらも呼んでやろう。 やっぱり楽しみは共有しなきゃね。 僕からの収集なら誰も断らない筈だ。 全員揃わなきゃ意味がない。 そうでなきゃつまらない。 ……つまらない? 違う、これは決して、そういう意味じゃない。 あの子を絶望に突き落とす為には、多少手が込んでいる方がいい。 その方がより一層、あの子はいい顔をしてくれるから。 ああ、母が怒鳴られている。 耳を塞いでも逃げられない。 唇を噛み締めたら鉄の味がした。 僕だけがこんな地獄に囚われっぱなしなんて不公平だろ? だから皆にも分けてあげるよ。 こんな雨の日には、それくらいの気晴らしも必要だろ? ――君の好きなところでいいよ。 一件くらい、付き合ってあげる。 奢ってやれるだけの金はある。 せいぜい夢でも見るといいさ。 貸した分はきっちりと、体で返してもらうから。 不気味で短い、幸せな夢を。 ――じゃあ、一丁目のカフェで。 食べてほしいものがあるんだ。 また一つ、傷が増える。 目には見えない深い場所に。 一生消えない大きな傷が。 苛々する。 だから雨は嫌いなんだ。 夢を見たいのは、僕だというのに。 こんな自分知りたくなかった。 気づけば頭の中はあの子のことばっかり。 ああもうほんと最悪。 全部ぶち壊してやる。 黒いロングコートを着て。 ポケットにカッターを忍ばせて。 暇人共に一斉メール。 口元には狂気の笑みを称えて。 悲しみから目を逸らし。 また一つ、傷を隠す。
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