作成日時: 2020/03/12 09:16:27
 雨の日は嫌いだ。
 家から出られなくなる。
 あいつから逃げられなくなる。
 僕も、母も。

 また一つ傷が増える。
 今日は腕に火傷の痕。
 今も階下では物音が続いている。
 酒に酔ったあいつが、物を壊す音。

 ポケットに手を入れれば、転がり落ちるクシャクシャの札束。
 あいつから逃げる時に盗んで来たもの。
 これで新作のゲームでも買ってやろうか。
 それくらいの褒美が無きゃやってられない。

 窓を開け湿った空気を吸い込む。
 心を染める闇に潤いを落とすように、目を閉じて、深く、深く。
 風に乗った雨粒が瞼を冷やす。
 途端脳裏に響いた低い音。
 同級生とは思えないほどに落ち着いた、大人びた声。



『お前、寂しい奴だな』



 ああもう、煩いなぁ。
 お前には関係無いだろ。



『本当は友達になりたいとか思ってんじゃねぇのか』



 僕が、あの子と?
 馬鹿言わないでよ。
 あの子はただの玩具だよ。
 それ以上でも以下でもない。



『なんなら俺が友達になってやろうか』



 ふざけないでよ。
 そんな事微塵も思ってないくせに。
 お前は僕が嫌いな筈だ。
 お前のお気に入りを毎日苛めて楽しんでるんだからさ。
 知ってるんだよ。
 お前が素直にこのグループに入った理由。
 僕より格上でありながら、リーダーの座を蹴ってまで一匹狼を貫こうとする理由。
 全部あの子の為なんだろ?
 あの子を、護りたいとか思ってんだろ?
 似合わないね。
 そんな、王子様みたいな役。

 僕とお前は同類だろ。
 僕らに似合うのはせいぜい魔王だ。
 心に悪魔を飼い慣らした、最低最悪の、ね。
 そういう輩は孤独と決まっているんだ。
 だから友達なんて、そんなもの。



「……要らないよ」



 呟いた声は思っていたよりも小さくて。
 自分でも驚くくらいに震えていた。

 ああ、苛々する。
 僕が欲しいのは奴隷だけ。
 思い通りにならない人間なんて、僕の人生には邪魔なだけなんだから。

 札束を財布に入れ、同時に携帯を取り出す。
 選び出した宛名には栗花落澪の文字。
 そうだ、こういう時はあの子で発散するに限る。
 どこに呼び出してやろうか。
 コンビニの裏?
 それともビルの屋上?
 どこでもいい、とにかく人気の無い場所で。



 ――今から時間作れるな?
   遊んでやるよ。



 打った文字を確認もせず送信する。
 誰が見てもわかるだろう脅迫文。
 その後に待つ地獄を知る者ならば、こんなもの送られたら怖いに決まってる。
 友達なんて向こうから願い下げでしょ。
 そう、普通なら。

 鳴り響いたメロディを遮るようにボタンを押す。
 開かれたメール本文には、たった一行。



 ――いいよ、どこで待ち合わせる?



 本当に、腹が立つ。
 なに考えてるのかわからない。
 誰を相手にしてるか理解してるのか?
 だって、これじゃあほんとに。

 馬鹿みたいだ。
 どいつもこいつも。

 そうだね、そっちがそのつもりなら乗ってあげるよ。
 どうせならあいつらも呼んでやろう。
 やっぱり楽しみは共有しなきゃね。
 僕からの収集なら誰も断らない筈だ。
 全員揃わなきゃ意味がない。
 そうでなきゃつまらない。

 ……つまらない?
 違う、これは決して、そういう意味じゃない。
 あの子を絶望に突き落とす為には、多少手が込んでいる方がいい。
 その方がより一層、あの子はいい顔をしてくれるから。

 ああ、母が怒鳴られている。
 耳を塞いでも逃げられない。
 唇を噛み締めたら鉄の味がした。
 僕だけがこんな地獄に囚われっぱなしなんて不公平だろ?
 だから皆にも分けてあげるよ。
 こんな雨の日には、それくらいの気晴らしも必要だろ?



 ――君の好きなところでいいよ。
   一件くらい、付き合ってあげる。



 奢ってやれるだけの金はある。
 せいぜい夢でも見るといいさ。
 貸した分はきっちりと、体で返してもらうから。
 不気味で短い、幸せな夢を。



 ――じゃあ、一丁目のカフェで。
   食べてほしいものがあるんだ。



 また一つ、傷が増える。
 目には見えない深い場所に。
 一生消えない大きな傷が。

 苛々する。
 だから雨は嫌いなんだ。
 夢を見たいのは、僕だというのに。
 こんな自分知りたくなかった。
 気づけば頭の中はあの子のことばっかり。
 ああもうほんと最悪。
 全部ぶち壊してやる。

 黒いロングコートを着て。
 ポケットにカッターを忍ばせて。
 暇人共に一斉メール。
 口元には狂気の笑みを称えて。

 悲しみから目を逸らし。
 また一つ、傷を隠す。
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2020/03/12 09:16:27
最終更新日時:
2020/03/12 09:16:27
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