逆鷺・俐己

作成日時: 2019/05/12 18:32:29
本名はリィコ・フィリアス

ダークセイヴァーの平和な村に生まれたが、その村は既に陰からオブリビオンに支配されており『稀に人間同士から化物が生まれる』という間違った知識が常識となった村だった。
リィコはそこで人間ではないと決めつけられ、居ない子どもとして幼少期を過ごす。

ルゥカ・フィリアスという姉がいるが、すでに死んでおり、オブリビオンとして世界に染みだしている。

村を支配するオブリビオンの目的は、子どもたちを虐げることで、村を呪いで満たし、それを収納する呪いの器を作り出すことであった。
結果として村は滅び、呪いの器として逆鷺俐己が完成した。

俐己の体には無数の穴があり、そこから呪いを出すことができる。また呪いを取り込むことも可能で、オブリビオンはこの機能から俐己が生きていれば勝手に呪いが集まるであろうと俐己を放置している。


以下は設定を固めるためと、世界観を把握するために書いたものの供養です。一プレイヤーの自分のキャラに対する勝手な二次創作(?)なので、リプレイの執筆に際し読む必要はまったくございません。



















序幕
 

 その日、村長の家に一人の男がやってきた。この辺りでは見ない服装をした、奇妙な男だ。
 この男は、村長の目の前で村を襲うヴァンパイアを切り殺した男だ。村長は礼を言うために男を招いた。
「私はヴァンパイアと戦う者です。あれらを倒すために、ここにいる」
 男は村長に、様々なことを教えた。ヴァンパイアへの対抗手段。効率的な農作業の方法。日持ちのする食糧の確保方法。戦うための、生きるための知識。
「そういう人類の敵、オブリビオンを倒すことこそ、我々猟兵の存在理由ですからね」
 村長は男に深く頭を下げた。男は気にするなと笑う。
「逆鷺・縁です。この村に潜むオブリビオンを、ヴァンパイアを退治しに来ました」
「私は、村長のオルゴバーンと申します」
「ええでは、親愛を込めてオルゴさんと呼ばせてもらいますね」
 なんて言って、逆鷺縁は笑った。オルゴバーンも合わせるように笑う。
 逆鷺縁は奇妙な男だった。極彩色の長い髪を編込みにして整えた、細身の、背の高い男。
 彼の語る言葉のほとんどは正しく、村の生活を大いに助けるものであった。
 ただ唯一、彼が本当は猟兵ではないということを除けば、であるが。
「それじゃあ、この素晴らしい村のために、尽力させていただきますね」
 村を悲惨な過去とするために、そのオブリビオンは、優雅に微笑んだ。
 

 
 
第一幕
 
「おはよう!」
「おはよう、ルゥカ」
 辺りは夜の暗闇に包まれ、太陽の光など届かないこの世界で、彼女たちは笑顔で朝の挨拶をする。
 ダークセイヴァーを敷く圧政の中で、しかしこの村にはそれを感じさせない力強さがあった。
「おはよう二人とも。今日も元気がいいね! うちで採れたばかりのリンゴさ。ほら、持っていきな」
「ありがとうございます!」
 この世界での平均的な食事は、ジャガイモやスープだ。そんな中でこの村は、非常に豊かな食を実現していた。――逆鷺縁という、不思議な男から伝えられた製法によって。
「これから勉強かい? ああもうそんな時間か、頑張ってねえ……」
「おばあちゃんも、お体にはお気をつけて!」
「おお! ルゥカちゃん! そろそろうちの息子の嫁に来てくれやしねえかな!」
「まだそういう話は早いかな!」
 村を行き交う人々は希望に満ち、瞳は前を強く向いている。声を掛け合い、協力して日々を生きる彼らは、ダークセイヴァーの暗闇を感じさせない表情を浮かべている。
 ルゥカ・フィリアスもまた、この村の一員である。薄赤い髪を肩のあたりで切りそろえた健康的な、十四歳の少女。両親と三人で暮らす彼女は、今日も村の学び舎へと友達と一緒に向かうところであった。
 学び舎は小さく、村の子ども全員が一つの部屋で勉強をする場所だ。村では教育を重視していて、こんな時代だからこそ知識が大切だと考えていた。
「そろそろ演劇団が来る季節だな」
「ああもうそんな時期かい? 時が過ぎるのは早いねえ」
「楽しみだねえ。今年はどんな劇を見せてくれるのか」
「あのかっこいい吟遊詩人のお兄さんも来るんでしょう?」
「外のことを聞く機会なんてなかなかないからな」
「彼らもここに住めばいいのに。彼らの話だと、この村より安全な村なんてこの世界にはないんだろう?」
「そうは言っても余所者でしょう? 村長も認めているし、演劇を見る分には良いけど、ずっと居座られるのもねえ」
「彼らには彼らの家族がいるだろうて、そこで暮らすべきなんだよ」
「そうですねえ……。人は生きるべきところで生きるべきですよ」
 もうじき演劇団が来るという噂で、村はもちきりだった。こんな時代になってから、旅人などは見かけなくなり、ただ外との交流は年に一度くる劇団と、吟遊詩人くらいになっていた。
 村の知識人は外の情報を、そして多くの村人は数少ない娯楽の到着を心待ちにしている。
 ルゥカもまた、その一人である。彼女は特に吟遊詩人を気に入っており、彼の生き方に心惹かれていた。
「いつ来るのかな!」
 ルゥカは待ちきれないというように友人に言う。友人はわからないわよ、と笑った。
「楽しみだよね」
「ええ! 今年はどんな――うわっ!」
 学び舎に向かう途中、急に誰かに強く腕を引っ張られた気がしてルゥカは振り返った。
「どうしたの?」
 横で友達が心配そうに声をかけてくる。ルゥカは腕を振りながら冷静に答えた。
「ううん、何でもないよ。気のせいだったみたい」
 確かにあった、掴まれた感触を忘れるために腕を擦りながら、ルゥカは再び学び舎へ向かって歩きだした。

 学び舎には村中の子どもたちが集められている。先生がいるけれど、だいたいは年上の子が年下の子に教える形だ。
 部屋は長方形で、机が規則正しく並んでいる。そして部屋の隅の一角に大きな金属の籠が置かれていた。
 先生は子どもたち全員が見える位置に立つと、口を開いた。
「百年ほど前に甦ったヴァンパイアは、この世界のすべてを支配しました。それ以来、多くの村は圧政に敷かれ、文明は壊され、大地は荒れ、世界は破滅へと向かっているそうです」
 先生役の大人は、逆鷺縁から村長が伝え聞いたというこの世界の話を子どもたちに聞かせる。
「とても残酷なお話ですが、これは私たちの問題です。聞かなかったから、知らなかったからと言って、ヴァンパイアたちに世界が支配されていることは変わりません」
 毎年、必ずこの話を子どもたちに聞かせる。村の外を見たことがない子どもたちには理解できない話。けれど話さなければならない。この村の平穏が、いかに奇跡の上に成り立っているのかを。
 大人に近づくにつれて、毎年聞いている子どもたちは少しずつ話を理解していく。
「でも先生、そんなこと言われても、ここは平和ですよ?」
「ええ、それは私たちの親が、そのまた親が、そして何よりも私たちが、そうやって何代にも渡って戦ってきた成果ですよ。勝ち取っているのですよ。我々は平和を」
 先生は、子どもたちに力強く語りかける。金属の籠がガタガタと音を鳴らしだす。
「私たちは勤勉で、そして何よりも生きることを諦めませんでした。人として生きるために協力して立ち上がり、村長と、逆鷺縁という戦士を中心に団結し、ヴァンパイアたちを追い出したのです。さらに、新しく生まれてくるヴァンパイアの退治にまで成功している!」
 子どもたち一人一人の顔を見渡しながら、先生は続ける。
「それこそが、あなたたちが引き継ぐもの。高潔なる、この村の精神なのです。皆さんも、誰かが困っていたら手を差し伸べてください。協力して、隣人を、家族を愛しながら生きるのです」
 先生は、力強く宣言した。
「あなたたちは正しい! そして人はだれしも特別なのです! だからどうかあなたたちも、この村の住人であるということに誇りを持ってください」
 先生は話を終えると、金属の籠の前に立った。
「うーん、ガタガタ鳴るなあ。造りが甘かったかな」
「先生、その空っぽ籠って何なんですか?」
 生徒の一人が手をあげて質問した。確かに、その籠は部屋の中で明らかに異質であった。背が高く、横にも広い。これが無ければ子どもたちはもっと広く部屋を使えるだろう。
「今は空っぽだけど、ずいぶん昔は悪いことをした子をここに入れて反省させていたらしいよ。もうずいぶん使っていないから、邪魔だし片づけたいと思っているんだけどね、大きすぎて、部屋から出せないんだ」
 先生はそう言って、壊せばいいのかなと笑った。
 ルゥカが先生から今の話を聞いたのはこれで何度目だろうか。毎年必ずこの時期になるとその話をする。
 子どもたちに演劇を見せるための前準備だろうか、とルゥカは窓の外を眺めながら考えた。
 そんなルゥカの肩を、友人がちょんと叩く。
「先生はこの村が一番良くて、外の世界なんて過酷だって言うけどさ。でも、外って気になるよね」
 秘密の話をするように囁く友達の言葉に、ルゥカも頷く。
「私はこんな村で終わるつもりなんてないわよ」
 ルゥカは、この村の質素な生活に満足していなかった。外の世界を知らないが故に、彼女にはこの村の生活水準がどれほど高いのか想像できなかった。
 気の弱い友達が心配するように言う。
「でも外にはヴァンパイアがいるって言うよ」
「大人たちに追い返せるなら、ヴァンパイアもたいしたことないんじゃない?」
「そうなのかな……」
「きっとそうよ。っとそうだ。私、今日も丘の境界を見に行くから。お母さんには適当に誤魔化しておいて」
 丘の境界は、この村と外を隔てる境界だ。杭を打ち付けて線を引いたそこは丘になっていて、村の外が一番よく見えるところになっている。
 外へ憧れを持っているルゥカは、よく丘から外を眺めていた。
「絶対、外に出てやるんだから」



 村の境界から見える景色は、一面の闇ばかりだ。夜の黒に、森の木々。月明りでその輪郭は見えるけれど、そこに人の気配は感じさせない。この村の外は、人知の及ばぬ世界なのではないかという印象を抱かせる。
 それでもルゥカは、この先に素晴らしい世界があると知っていた。大人たちと話していた吟遊詩人が、ルゥカにこっそりと教えてくれたからだ。
『おもちゃ箱のように、世界はいくつもあるんだよ。ここだってその一つなんだ。そして、ここは最も寂しいおもちゃ箱。他の箱には、綺麗や楽しいがたくさん詰まっているのさ』
 星を見ながら隣で語る彼の言葉に、ルゥカは胸を躍らせた。それ以来、ルゥカはいつか彼と一緒に村の外へ行くことを目指している。
「やあ、またここに来ていたんだね」
「あ、アルデア! どうしてここに!?」
 村を訪れた吟遊詩人のアルデアだった。大人たちに受け入れられ、年に一度村へと来て、数日留まってからまた旅に出る。今回も、演劇団と一緒に今日村へ訪れたのだ、とアルデアは語った。
「久しぶりだね。背、伸びたんじゃないかい?」
「そりゃあもちろん。どんどん大人になりますとも」
 再会の感想を言うアルデアに、ルゥカはいたずらっぽく笑った。腰まである髪を月明りに煌めかせ、アルデアはルゥカの横に立った。
「それで、今日はどんな話を聞かせてくれるの?」
「君が望むなら、どんな話でも」
「それじゃあ、外の世界の話がいいな」
「ルゥカはそれが好きだね」
「ええ、私はいつかそこに行くのよ」
 ルゥカは月に手を伸ばして力強く言った。アルデアは横で、嬉しそうにそれを聞いている。
「ルゥカは、この村が嫌いなのかい?」
 アルデアの言葉に、ルゥカは顎に指を添えて唸る。
「うーん、村は好きよ。住んでる人だって、みんな良い人だわ。でも、……本当はね、私には妹がいるはずだったの」
「いるはずだった?」
「うん、生まれてこなかったんだって」
 ルゥカは、かつて両親から聞いた話を思い出す。本当は生まれてくるはずだった双子の妹。
「ちゃんと生まれてたら、リィコって名前になるはずだったんだけどさ。だからかな、私は、リィコの代わりなの」
「姉なのに、代わりなの?」
「そうよ。だって、あの人たちにとっては、生まれなかった娘こそ理想の娘ですもの。リィコが居ればもっとこうだったかもしれないなんて想像を私に重ねるの。私のこともちゃんと愛してくれているのはわかるんだけどね、それでも、二人分の愛は重過ぎて、私、いつか潰れてしまう」
 ルゥカは、祈るように両手を組んだ。自分も、両親のことを愛している。だから、一人立ちしたいのかもしれない。
「だから村を出るの。私を探すために。あそこに居たんじゃ、私は両親の理想のリィコになってしまう」
 ルゥカはアルデアの方を見て、心配そうに首を傾げた。
「アルデアは応援してくれる?」
「もちろん。そもそも、人は望むところへ行くべきなんだ。自分の為にね。自分の居場所をそこだと決めて、周りに合わせて生きたとしても、それで君が報われることは無いんだ」
「……アルデアも、そういう経験があるの?」
「さあて、どうかな」
 そう言うとアルデアは困ったように、曖昧に微笑んだ。ルゥカはいつかもっとアルデアの話が聞けますようにと願うのであった。


第二幕


 ルゥカの父、スヴェリオは仕事がひと段落して休みを取っていた。そこへ村長がやってくると、スヴェリオの隣に座る。
「明日に決まったよ」
「……やっとですか。長かった」
 村長の言葉に、スヴェリオは空を仰ぐ。その表情からは疲れが読み取れた。
「よくぞ今日まで耐えたな」
「地獄のような日々でしたよ。まさか、自分たちの娘がヴァンパイアなんて……」
 娘が生まれた直後であっただろうか、村長にそう宣言された。そして、スヴェリオはそれを受け入れた。最初スヴェリオは何かの間違いかと思った。けれど、スヴェリオは今まで何度も、人から生まれたというヴァンパイアをこの村で見ていたから、村長の言葉を受け入れるしか道はなかった。
『ヴァンパイアは、人の敵なのだ。それを庇うことは村の滅びに繋がる。……どうかわかってくれ』
 あの日村長はそう頭を下げ、彼らの子どもを抱き上げた。
「あの日以来、十余年、ずっと罪人のような気分でした」
「お前たちが悪いのではない。すべては、理不尽を強いる世界が悪いのだ。こんな世界でなければ、あの子も幸せに生まれてくることができただろう」
 村長は目頭を押さえ、顔を伏せた。
「やめてください。もう私は覚悟を決めましたから。アレがヴァンパイアだというのなら、せめてしっかり殺してやるのが、親の情というものでしょう」
 村長はスヴェリオの手のひらを包み込むように握ると、ゆっくりと上下に振った。
「よく言った! ヴァンパイアに言いたいことは、すべて明日言うといい」
「ええ、そうします。ルールーカにも伝えますよ」
 ルールーカはスヴェリオの妻の名前だ。
「これでまた、村は守られるのだ。君たちは村の救世主なのだよ」
 そう言うと、村長は離れていった。本当に、ただ連絡をしに来ただけなのだろう。
「明日か、いよいよ」
 スヴェリオとルールーカの子どもについて、村長から話を聞いた時にはその言葉を信じられなかった、けれど今ではそうすることが正しいのだと確信していた。スヴェリオは明日、自分のもう一人の娘と対面する。生まれた直後に『この娘はヴァンパイアだ』と言われ、離れ離れになった娘と。


「やっとなのね!」
 ルールーカは、夫の報告に立ち上がり、叫んだ。
「やっとやっとやっと! アレを殺せるのね! あの、私の人生の唯一の汚点を! 消し去れない汚れを!」
「そうだとも。僕たちを苦しめたヴァンパイアを、やっと殺せるのさ」
「ええ! アレが、化物が! 私たちから生まれたというのが、そもそも間違いだったのよ!」
 ヴァンパイアを生んだという汚名が、村での彼らの立場を悪くしていた。村人からは奇異の目で見られ、親族には何をやっているんだと責められた。そんな日々がようやく終わるのだと、彼らは喜び合う。
「明日なのね! 明日! ああ、そのまま処刑してしまえばいいのに!」
「そうはいかないのさ。ヴァンパイアには、もう二度と人間として生まれようと思わないほどの苦痛を、恐怖を与えないと」
「そうよね! ああでも、さっさと死んでくれないかしら!」
「……ただいま」
 ルゥカが帰宅した声を聴いて、二人はスンと冷静になった。それからルールーカはルゥカのもとへ行くと、娘を抱きしめた。
「遅かったじゃない。どこに行っていたの? ケガはない? ほら、少し汚れているじゃない」
「ええ、ちょっとモガおじいさんの手伝いをね」
「あらそう、さすが私たちのたった一人の娘。とっても優しいのね。でもね、たとえこの村の中だとしても、安全じゃないかもしれないんだから、せめてそういう時はお母さんと一緒にね?」
「さすがに、もうそういう歳じゃないかなって。ごめんなさい」
「うんうん、わかればいいのよ」
 そう言うと、ルールーカはルゥカの手を握って、引っ張っていく。
 これが、苦手だ。ルゥカは母親の背中を見た。彼女はルゥカに過保護すぎる。父親もだ。
「ルゥカちゃんは、ただ私たちのために生きれば良いのよ」
 そうすることが正しいのだとルールーカは言う。ルゥカは両親のことを人並みに大切にしていた。嫌いではない。しかしそれでも、これはあまりにも苦痛であった。愛しているからこそ突き放せず、繋がれたペットのような生活に甘んじる。
 ――ああ、だから私はここから逃げ出したいんだ。
 さっき別れたばかりのはずなのに、ルゥカは無性にアルデアに会いたくなった。
「お父さんは外に出ようって思ったことは無いの?」
 食事の時間。この村においては平均的な食事を前に、ルゥカはスヴェリオに尋ねた。
「無いとも。この村は他よりもずっと平和なんだ。それに、ここですべてが満たされるんだよ」
 スヴェリオは当然だろうと答える。
「だから、外には出たくない?」
「僕は二人を、家族を守らなくちゃいけないからね」
「外になんか、出ようとするものじゃないわ」
 ルールーカは咎めるように言う。
「村から出ていった人は誰も戻ってきやしないじゃない」
「そうだけど。それほど外が素晴らしいのかもしれないじゃない」
「だったらなおのこと、村の人に知らせに戻ってくるわよ」
 ルゥカは言い返せなかった。確かに、村の外が本当に素晴らしいなら、誰か一人くらい村から出ていった人はそれを話に戻ってくるはずだろう。
 けれど、アルデアの言葉も嘘だとは思えなかった。彼の語る世界は、嘘と呼ぶにはあまりにもリアリティがあった。
 例えば外が素晴らしいとして、この村に戻ってこられない理由があるのかもしれない。そう、楽園までの道は険しく、引き返せないとか。
 とにかく、ここではない場所には楽園があるはずなんだ。ルゥカはそう考えていたけれど、両親には決して言わなかった。


 翌日。学び舎の前にある広場には簡易型の劇場が作り上げられていた。小さな照明に浮かび上がるステージは狭く、しかし観客はそこに無限の広がりを見る。演劇とはそういうものだ。
 村を訪れる演劇団は、今年も短い三つの演目を行っていた。
 一つ目は『世界が平穏だったころの暮らしを描いたコメディ』を。
 二つ目は『かつてこの世界であったという身分違いの恋物語』を。
 そして三つ目は『この村を支配したヴァンパイアとの戦い』を演じた。一つ目と二つ目は毎年演目を変えており、毎年共通するのは三つ目だけである。
 三つ目の内容はこの村で実際に起こったことだと伝えられている出来事であり、村人たちの誇りであった。
『圧政よ。決して永久に栄えることのない悪よ。これは、それを打ち滅ぼした一つの物語であり、歴史である』
 劇は彩る。この村はかつてヴァンパイアの圧政に苦しめられていたのだと。そして、それを打破するために立ち上がった勇気ある若者たちが居たのだと。
『ヴァンパイアの名はガルサ・ブランカ。極悪にして非道。心など持たぬ化物は、村を支配し、君臨していた』
 ストーリーは簡単なもので、村を支配していたというガルサ・ブランカを主人公が討伐するというもの。そして最後に、ガルサ・ブランカは呪いを残した。
『俺が、これで諦めると思うのか……。お前たちに安息は無い! 俺は、俺たちは、何度でも甦るぞ! お前たちの子どもとして、何度でも生まれ、やがてお前たちを滅ぼすのだ!』
 それが村に残された呪いなのだと、かつてガルサ・ブランカを討ち取った村長は語った。
 これが毎年、演劇団によって語られる物語。
 だから村ではヴァンパイアが生まれ、我々はそれを打ち滅ぼさなければならない。村人たちは心からそう信じていた。

 劇が終わって、学び舎にて、先生は大切な話があると生徒たちに言った。
「この村には、罪人が住んでいる」
 先生の言葉に、部屋がざわざわと騒がしくなった。
「人の中には、ごくまれにヴァンパイアとして生まれるものがいる。これは自覚なく成長し、やがて人を襲う悪だ。そいつらは『生まれてきたことが罪』なんだ」
 先生は金属の籠の前へと移動する。
「これは籠ではなく檻だ。罪人を閉じ込めるためのね。さあみんな。二度とヴァンパイアが人の世界に生まれようなどと思わないように、徹底的に退治しようじゃないか」
 誰もが知っていた。いつだって檻の中にいる自分と同い年くらいの子どもたちを見ていた。そしてそのうえで、見えないふりをしていた。それがこの村のルールだから。
「人から生まれたヴァンパイアはね、大人になるまでは、無力な子どもと一緒なのさ。だから、今なら私たちでも倒せる、滅ぼせるんだよ」
 それから、先生は金属の檻に向かって語りかける。
「長く君たちを居ない子ども扱いしてきたね。でも、それも今日で終わりだ。君たちはようやくこの村の一員となるんだよ」
 そう言って檻の扉を開くと、中からボロボロの子どもたちが這うように出てきた。誰もが首輪をつけて、両手が手枷と鎖で動かなくされている。
 そのうちの一人の少女が、ルゥカの前に行く。
「お姉ちゃん!」
 と少女が言った瞬間、ルゥカは少女を殴り飛ばしていた。
「きゃあ!」
 少女が転がる。その腹めがけて、ルゥカは思い切り蹴りを入れた。
「お前の、お前が! お前なんかが生まれてくるせいで! 私たち家族がどれだけつらい目にあったか! ヴァンパイアの家族と言われて! お前なんて、生まれてこなければ! 謝れ! 謝れよお!」
 何度も、何度も蹴る。そのたびに少女は苦しそうにもがき、口から息を漏らす。
「ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
 何をやってもひたすら無視され続けた少女。
 例えばルゥカの腕を引っ張ってなんとか話をしようとしたこともあった。例えば金の檻を揺らして、ひたすら叫んだこともあった。それでも存在を認められなかった少女。
 ルゥカはどれだけ煩わしくても、村の決まりで少女が見えないふりをし続けなくてはならなかった。少女は先ほどあの檻から出るまで、この村に存在しないことになっている子どもだった。
「おね、ちゃ……」
「うるさい!」
 部屋中で、同じようなことが起きている。檻から出てきた子どもたちを、教室の子どもたちが殴り、蹴り、虐げている。
『何年振りだったか。待ってたぞ今日を! やれえ! やっちまえ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!』
 低く、黒い声だ。私たちを笑っている。
 少女は薄れゆく意識の中で、村を取り囲む声を聴いた気がした。


 スヴェリオは、自分たちの娘であるはずの十四歳の少女に、ただルールを科していった。『村人に言われたことは絶対服従すること』『村に危害を加えないこと』『常に自分が悪いという自覚を持つこと』『自分以外のために生きること』それらを少女に強く敷いた。
 ルールーカは、自分たちの娘であるはずの少女を、ただ居ないものとして扱った。話もせず、何も与えず、何も貰わない。ルールーカにとって、少女は化物であった。自分がお腹を痛めて産んだはずなのに、身に覚えのない化物だ。
 そしてルゥカは、妹であるはずの少女を敵として、徹底的に攻撃する対象とした。自分に顔の似た少女が、ボロボロになって、縋るように自分を見る姿が、ルゥカには耐えられなかった。
 そのすべてを、少女は受け入れた。それが少女にとって、初めての人との繋がりだったから。言う通りにすれば、やがて自分も家族になれると思ったから。

 ――きっと私が我慢すれば、明日には、明後日には、来月には、受け入れてくれるかもしれない。
 ――私が悪いというのなら、どんな罪も償います。どんな罰も受け入れます。あなたたちが望むなら、どんなことだってやります。
 ――だからどうか、私を許してください。
 ――認めてください。
 ――愛して、ください。
 
 家に少女の居場所はなく、追い出された少女は村のはずれにある少女たちの住みかへと連れてこられた。
 雨も風もしのげないような、隙間だらけの板を継ぎ合わせた、大きい木の箱だ。側面にある大きい隙間から、箱の中へと入る。
 そして大人たちは、少女が逃げられないように手枷につけられた鎖を固定すると、箱から離れていった。
「帰ってきた……」
 灯りは無い。家具もない。大きいボロボロの毛布が一枚。そんな木箱の中に、少女を含めて六人の子どもたちが居た。
「アンタのところも駄目だったんだ」
 リーダー格の、大人に近い少女が言う。リーダーの言葉に少女はうなずいた。
「殴られちゃった。人の敵だって」
「私もそうだよ」
 リーダーは笑った。
「ほら見ろよ。体中傷だらけだ。これなら、無視されていた昨日までの方がマシだったかもな」
「でも、僕たちはここに居るよ」
 横になっていた小さい少年は、顔だけ少女とリーダーの方へ向けて言った。
「今は存在することが許されているんだ。昨日まではそうじゃなかった。僕たちは昨日まで、本当に徹底的に透明だった。だから、なんというか痛くても、誰かと触れ合える今の方が、いいよ」
「馬鹿ね。殴られる方が良いなんて」
 箱の隅に居た気の強い少女が、板に背中を預けたまま言う。
「あなた、おかしくなっちゃったのね」
「ここにいるってことは、お前も僕たちと一緒だろ」
 少年は気の強い少女を見ないまま言った。気の強い少女は、少年の言葉に、どこか優しい声色で返す。
「あら。私は家族に受け入れられたのよ。私が透明になっていたのは、村の掟で仕方がなくですもの。私がヴァンパイアのはずがない、これからは家族として一緒に生きていこうって」
 気の強い少女は手枷を見せた。彼女だけ、鎖でつながれていなかった。他の五人はそれを見て、受け入れてくれるところもあったのか、と心のどこかで安堵した。
「じゃあなんでここにいるんだよ」
「最後に、あなたたちの顔を見に来たのよ。ふう……。まあいいわ。もう行くわね。それじゃあ皆さん、お元気で。早くあなたたちにも居場所ができることを願っていますわ」
 気の強い少女は、名残惜しそうに頭を下げた。
「ありがとう。あなたもしっかりね」
 リーダーは気の強い少女を笑って送り出した。それから残った少女たちを見て言う。
「あの子みたいな例外はあるかもしれないけど、村は私たちを虐げ殺すつもりだわ」
「それはどういう」
「まあ私も聞いた話なんだけどね」
「聞いたって誰に?」
 少女の問いに答えたのはリーダーではなかった。背後にある闇から声が届く。
「僕だよ」
 暗がりから、アルデアが現れた。ここらでは見かけない意匠の服に身を包み、軽やかな足取りで少女たちに近づく男。
「あなたは」
 少女は村で何度か見かけたことがあった。アルデアという男で、村の人は彼を吟遊詩人だと呼んでいた。それがどういうものなのか少女は知らないが、彼は村へ来ればいつでも人だかりができるほどの人気者だとは知っていた。
「君たちはこのままだと壊れてしまうよ。村の考えは恐ろしいものなんだ」
 リーダーはうなずく。
「あの人が私に真実を教えてくれたんだ。そして今、あなたたちにも教えようとしている」
「今こそ語ろう。この村の真実を。そう、この村はね、とっくの昔にヴァンパイアに支配された村なんだ」
 アルデアの言葉に、子どもたちに動揺が広がっていく。
「君たちは演劇団の舞台を見たことがあるかな?」
 アルデアの言葉に少女たちは首を横に振った。あれは村のための娯楽だからと、自分たちは見させてもらえなかった。
「そうか、それなら、この村でかつて何があったかは?」
「それなら学び舎で先生が話しているのを聞いたことがあります」
 そうして少女が話した内容は、演劇で語られている内容と一緒であった。村ではただ、少女たちに娯楽を与えないようにしていただけのようである。
「先生は、ここは平和な村だって言っていました」
「支配されたから、平和になったのさ。支配されたうえで、ヴァンパイアは手を出さなかったんだ。ヴァンパイアは気がついたのさ。自分で虐げるよりも、人間にやらせた方が面白い、ってね」
 アルデアはボロボロの腐った木の板を重ねたものに腰かけると、足を組んで続きを話す。
 
「ヴァンパイアは、わざと負けたんだ。そして最後に呪いの言葉を残した。『村の子どもとして何度でも生まれる』と。そうして村の平和が訪れたけれど、その言葉がずっと彼らを縛り続けたんだ。そんなあるとき、村で殺人が起きた。些細な言い争いから、ついカッとなってのことだったという。平和になってから、初めての殺人だった。それを見て不安になったんだろう。誰かが犯人を指さして言い出した。『もしかしてこいつが、ヴァンパイアなんじゃ……』と。だから村長は一計を案じた。処刑した犯人の死体を、みんなの前で、誰も触れていない状況で突然燃え上がらせたのさ。『死んだヴァンパイアはこうなる! これが見分ける方法だ!』それを見た村人は、やはりヴァンパイアだったのかと納得したという」
「それは当然、村長には嘘だとわかっていた。村長は知っていたんだ。人同士からヴァンパイアが生まれないことを、この村では村長だけが知識として持っていた」
「そして村長は気がついた。自分以外の全員が、ヴァンパイアの言葉を信じ切っていると。たとえここで人同士からヴァンパイアは生まれないと自分が話しても、誰も信じないだろうことは明白だった。だから彼は罪人を、ヴァンパイアってことにしたんだ」
「そうして村長は作り上げた。誰も真実を信じないのなら、全員が安心できる嘘で村を包もうとした」
「そこからは酷いものであったよ。村が要らないと判断したまだ右も左もわからない子どもたちを、村長はヴァンパイアの子どもだと決めつけ、透明にした。居ないものにした。そしてそのまま手枷をはめて鎖をつけて村の中で生活をさせ、授業を聞かせ、普通の生活というものを見せ続けた。そのうえで無視し続け、『話してほしい、構ってほしい、愛してほしい』という思いを増幅させていく。やがて愛されるためなら、構ってもらえるなら何でもするというところまで追いつめた」
「あとは村の全員で虐げるだけだ。子どもの間は無視し続け、成長したとたん暴力によって、尊厳などないというほどに痛めつける」
「村人は疑問も抱かないさ。誰もがヴァンパイアを退治していると、そうだと信じている。人からヴァンパイアが生まれると、そして社会に溶け込もうとしているのだと」
「そうして使えなくなったら『退治』して、また新しい子どもをヴァンパイアということにした」
「それだけで、恐ろしいほどに村は元気になった。あるいは村中のモラルが壊れたのだろうか。まるで誰もかれもがやけくその、破れかぶれのままで刹那に生きるような村。それは確かに遠くから眺めるには村人は明るく、すべてを前向きに生きる村だけれど、その実態は無数の屍を積み上げて踊る愚かな道化師の群れだ」
「君たちもやがて歩くこともできない場所へと連れていかれるだろうね」
 アルデアの語りに、少女たちは言葉を失った。それが自分たちが虐げられる理由なのだと言われて、受け入れきれずに固まっている。
 少女はリーダーの表情を伺った。リーダーは憤怒に震えている。
「それじゃあ、僕たちはどうすれば」
 少年の言葉に、アルデアは安堵したように微笑んだ。
「良かった。君たちの目はまだ生きている。それなら、村の外を目指した方が良い。別の村を目指すんだ。君たちが生きられる、楽園を目指すんだよ。でも、夜の闇は漆黒だ。生きるためには灯りが無くては。それも、闇を照らす強い灯りだ。まずはそれを手に入れよう」
「灯り……」
「そう。夜の闇を照らす炎。魔物を、敵を寄せ付けない聖なる炎。それは青い炎なのだというよ。それを手に入れて、外へ逃げるんだ」
「……私は、この話に乗るつもりだ。私たちは、幸せになるべきなんだよ」
 リーダーの瞳には力が宿っていた。アルデアは安心させるように言った。
「そうとも。君たちは幸せになる場所へ行くべきなんだ。君たちは人間なんだから」
 アルデアは天井の隙間から月を見上げた。
「何が幸せになる権利を決めるのか、何が愛される資格を決めるのか。僕たちは、ただ安寧に生きたいだけなんだよ。誰かと愛で繋がりたいんだ。一人宇宙の暗闇に漂うことには、きっと永遠には耐えられないのさ」
 アルデアはリーダーに近づくと、手枷に触れた。
「君たちに、少しだけ力を貸そう。僕は見てのとおりのよそ者だから、君たちにできる手助けなんてたかが知れてるけどね。ほら、これで君の両手は自由の身だ」
 鍵を持っていたのか、するりと手枷が取れた。突然のことにリーダーは自由になった両手を見つめて、茫然としている。そのままアルデアは箱の中を歩き回り、一人また一人と手枷を外していった。
「さあ、ここから先は君たちがやるのさ。自分が生きるための戦いは、自分自身で成し遂げないと駄目だからね」
 アルデアはくるりと踵を返すと、箱の外に広がる闇に消えていった。リーダーはその背中を見つめ、熱の籠った言葉で少女に言った。
「不思議な人でしょ。でも、この村の誰よりも、私たちを人として扱ってくれるの。きっと、神様が私たちを生かすために彼をここへ導いたのね」
 神様なんているわけないのに。少なくとも、私たちに都合のいい神様なんて。そう思ったけれど、少女は言わなかった。
 

第三幕
 
 翌日。自分の居場所へと帰ったはずの気の強い少女は、村の広場で無残な死体となって発見された。
 全身に鉄杭を打ち付けられ、磔にされたその姿は、高々と掲げられ、村人たちは歓声をあげてそれを迎えた。
 人混みから離れ、隠れながら少女たちも磔を見ていた。見てしまった。誰もかれもが、それを正しいことと考えている。あんなひどいなぶり殺しを、当然の報いと言っている。
「どうして、私たちは人間なのに」
 と少女が言った瞬間、磔にされた気の強い少女が、突如としてきらきらと輝く粉になり、消えていく。
「やっぱりだ!」
「灰になった!」
「あの人の言うとおりだ!」
「ヴァンパイアだ!」
「化物だ! 俺たちは間違っていなかった!」
「退治だ! 退治するぞ!」
「待ちたまえ」
 興奮する村人たちに、低い、響く声で村長が言う。
「生け捕りだ。浄化が必要であろう」
「おおお!!」
 村の大人たちが一斉に村はずれの木箱へ向かっていく。
 
 
「早く! 早く灯りを見つけないと!」
 リーダーと少女と少年が逃げるように走っていく。手枷を外し箱から逃げ出したことなどすぐにバレるだろう。
「なんであんなことに! ひどい!」
 気の強い少女の惨状に動揺した少女が叫ぶ。
「家族だよ! 昨日あんな風に言ってたけど、結局あの子にも居場所なんてなかったってこと!」
 早く灯りを見つけて、この村から逃げ出さなくては。残った子どもたち五人は、手分けをして村中を走り回った。
「おい待てよ」
 突然横から伸びてきた腕に、少年が掴まれた。
「なんだ男かよ。ハズレだな」
 村の大人の男たちだ。
「ようやく許可が出たんだからな。どうせいつもみたいに、すぐに壊れて消えちまうんだ。今のうちに楽しんでおかないとな」
「これ以外、たいした娯楽もないんだよなあ」
「走って!」
 少年の言葉に、リーダーは少女の腕を掴むと走り出した。
「あー、まあいいか。どうせ村からは出られないんだ。今日はこいつでいいや」
 と男の一人が拳を振り上げると、力強く少年に向かって振り下ろした。
 そこにはもう、数日前の平和な村の様子などは無かった。いや、そうではない。この姿こそが村の真実の姿なのだ。大人になるほどに暴力が見えてくる。子どもには見えないように、表面上は綺麗な村を演じながら、その実は、透明とされた子どもたちを、そしてそれが育ってヴァンパイアとされた子どもたちを、ひたすらに虐げ、嬲ることで安心を得て、正義感を満たし、悦楽にひたってきた歪んだ村だ。数刻の後にはまた元の平和な村が顔を出すだろう。

 
「灯り! 灯り! 灯り! 灯り!」
 灯りを求めて、少女たちはさまよった。そうしてたどり着いた境界の丘。そこに佇む小屋の中で、二人はようやく青い炎の灯るロウソクを入れたランタンを見つけた。
「これなら!」
「これならなあに。村を出ていける?」
 少女が振り返ると、姉が、ルゥカが立っていた。
「お姉、ちゃん……」
「やっぱり。あなた、この村から出ていくつもりなんでしょう? 私に成り代わって、アルデアと一緒に!」
「何を言ってるの!?」
 アルデアは昨日会ったばかりの吟遊詩人だ。そもそも、アルデアとルゥカが知り合いだったなんてことを、少女は知らなかった。
「でも残念! 私はあの人に名前を貰ったの! 『逆鷺ルカ』っていうのよ! 本当の私の名前!」
 ルゥカは一瞬、頭痛を抑えるように頭を抱えた。そしてそのまま、少女を蹴る。
「気持ち悪いんだよ! 私と同じ顔で! 私の居場所を取ろうとするな!」
 ルゥカは少女にのしかかると、首を両手で絞めていく。
「ま……、おねえ……ちゃ」
 暴れて振り払おうとするけれど、腕がルゥカの体の下に入ってしまって、うまく動かせない。
「死ね! お前がここで死んだって誰も悲しまない! 私だ! 私が外に行くんだ!」
 さらに力を籠めるルゥカの後頭部を、リーダーは石で思い切り殴った。
「ぎゃっ!」
 血を流しながら頭を抱えるルゥカに、リーダーは何度も石を打ち付けた。
 やがてルゥカが動かなくなると、最後にもう一度石を振り下ろし、もう完全に死んだことを確認してから、馬乗りになったリーダーはようやく石を放し、肩で息をしながら少女の方に振り返った。
「無事ね?」
「……」
「ごめんなさい。あなたのお姉さん。殺しちゃった」
「……」
「でも、私たちが生きないと。今までの分も生きないと、ダメなんだもの」
 リーダーは這うように少女の傍まで来た。そうしてルゥカを指さした。
「だから、あなたがルゥカになるのよ。あなたはルゥカそっくりだから。ルゥカの服を着て、青い炎を持って帰って。そして、頃合いを見て他の子たちを一緒に連れだしましょ」
「え……?」
「生け捕りだって言ってたから、たぶんみんなすぐには死なないわ。これはあなたにしかできないの。あなたの力が必要なのよ」
 それは少女が、生まれて初めて誰かに必要とされた瞬間であった。


「た、ただいま」
「お帰りなさい! ルゥカ、無事だったのね!」
 母親が少女を抱きしめた。少女は何も言えなくなってしまった。親に抱きしめられたことが初めてだったから。あまりにも自然に、大切に抱きしめられたので、少女は泣いてしまいそうになった。これが、愛されるということなのね。少女は初めて見る感情をかみしめる。
「全然帰ってこないから心配したぞ。ほら、お前はアレと顔が似ているから、何かあったんじゃないかと」
 アレ、とは私のことなんだろうなあ。少女は父親に頭を撫でられながら、複雑な心境になった。
 ルゥカが着ていた服を着て、顔もそっくり。それだけで、両親にはすっかりルゥカだと信じられてしまった。
「ずいぶんと汚れているね。とりあえず体を洗ってしまいなさい」
「……は、はい」
 母親に手を引かれ、少女は奥へと入ってった。
 母親から離れて一人で体を洗い、服を着替える。こんなに綺麗な服を着るのは、生まれて初めてのことだった。
「ご飯できてるわよ」
 少女にとっては食べたこともないような豪華な料理。それはルゥカにとっては、この村の他の子どもたちにとってはありふれた、平凡な光景であった。しかし少女には、人生で初めて見る幸福の形だ。両親が座っている向かいに、自分の為の椅子がある。居場所がある。そして、温かい食事がある。
 緊張で手が震えるのを隠しながら、少女は椅子に手を伸ばし、そして入り口の方から聞き慣れた声を聞いた。
「それは私じゃないわよ」
 そこには、ルゥカが立っていた。さっき確かに死んだはずの少女が、平然と怪我一つもなくそこにいる。
「だってそれは何も知らないもの。私とお父さんお母さんとの思い出も、何も知らない」
 そこに立っているはずがないのに! 少女は腰を抜かし、その場に座り込んでしまった。ルゥカは笑いながら家に入る。両親は驚愕の表情を浮かべていた。
「でも残念。まさかお父さんにもお母さんにも、どっちが私なのかわからないなんて」
 ルゥカと少女。二人は本当にそっくりで、服装を入れ替えたら判断が難しい。ましてや今は少女が綺麗な姿で、ルゥカは先ほどの争いでボロボロになったままだ。混乱する両親を無視して、ルゥカは少女の頬に手を触れた。
「ひっ! あ、な、なんで……、生きているはずがないのに!」
 恐怖のあまり、少女は言ってしまった。同時にルゥカはぐいと服をめくりあげた。ルゥカの背中には、大きな傷があった。
「あなた知らなかったでしょ。私は小さいころに背中に怪我をして、そのあとがずっと残ってるの。服を取った時、ぜんぜん気にしてなかったよね」
 それはルゥカと少女を見分ける決め手となった。ルゥカは楽しそうに、怪しく言う。 
「それは私を殺して、成り代わろうとしたのよ」
 母親が悲鳴をあげた。父親は急いで包丁を持つと、それを構える。
「止めてお父さん。私、とても疲れているの。今日はもう休みましょうよ。それに、たとえどんな理由があったとしても、私たちは家族じゃない。家族同士で、争う必要なんてないわ」
 少女は目の前のルゥカの姿をした何かが恐ろしかった。あまりにも自然に、絶対にルゥカが言わないことを言う何か。
 ルゥカは少女の手を握ると、そのまま少女を自室へと放り込み、自分は両親の方へ振り返る。
「それじゃあ、おやすみなさい。愛してるわ二人とも」
「あ、おい! ちょっと!」
 父親の制止も聞かないまま、自室の扉を閉める。そのまま鍵をかけたルゥカは少女の前に立った。
「さて、混乱してるわね?」
 当然だ。少女はとても混乱していた。その様子をお気に入りのペットを眺めるように楽しそうにルゥカは見ている。
「あなただけに教えてあげるね」
 ルゥカは少女の手を握ると、ぐいと少女の顔に自分の顔を近づけた。 
「私は化物。人類の敵よ」
「……え?」
「びっくりした? オブリビオンなんて言うんですって。過去の亡霊、みたいなものらしいわ」
「何、らしいって……」
「だって生まれたばかりですもの。這い出たばかり?」
「でもどうしてそんなことを私に」
「そんな反応を見たくてよ。それに、絶対安全だから。だって、あなたが誰かにこのことを言っても、誰も信じてくれないでしょう?」
 自信満々に笑うルゥカ。
「でも、誰かが疑うかもしれない。もしかして、あなたがヴァンパイアになったって思うかも」
「無理よ。この村では、ヴァンパイアは人からしか生まれないことになっているんですもの。この村は、途中でヴァンパイアになったりなんてしない、そう決まっているのよ」
 絶対の法律を説明するようにルゥカは言う。
「だってそうでしょう。途中でヴァンパイアになれるんだったら、気に入らない相手のことをヴァンパイアだって言いだす人が出てくるでしょう? だからそれは駄目なの。最初からヴァンパイアはすべて見分けがついている、じゃないと村にとって都合が悪いのよ」
 だから、村のルールでそう決めた。
「人が、そう決めたの。生きるために都合のいい形に、嘘のルールを作ったの」
「なんでそんなことまで、私に話すの……」
「だってあなたと仲良くなりたいんですもの」
 なんということだろう。少女が生まれて初めて他人から仲良くなりたいと言われた相手が、人類の敵だとは。
「あなたはこれまでずっと、人間に否定されてきたじゃない。なら、今度はあなたが否定してやればいい。人間の未来を否定してしまえば良い。私には、あなたが必要なのよ。だから、あなたが欲しい。私があなたを愛してあげる」
 それは悪魔の甘い罠。自分を愛さない世界なんて捨ててしまえと、自分の為に生きろと囁く。
「まあ、しばらく考えてみてよ。時間はたくさんあるんだから。それと、この灯りは貰うね」
 少女はルゥカにあっさりと青い炎を取られてしまった。これが無ければ、子どもたちを助けに行ってもそのあと逃げ出すことができないと、少女は慌てて手を伸ばすけれど、ひらりと躱されてしまう。
「それと、勝手に外に出ることも禁止しようかな。村のやつに殺されちゃったら台無しだからね。それじゃあ、今日はおやすみなさい」
 ルゥカが少女の額に触れると、少女は沈むように意識を眠りに落としていった。崩れ落ちる少女を抱え、ベッドに寝かせてから、ルゥカは窓から夜の闇に飛び込んでいった。


「あ! あぁぁああアアア!!」
 腕を切り落とされた男が叫ぶ。酔って歩いていた三人組の一人が、突然吹き飛んだ。同時に一人は腕を切り落とされ、一人は足を砕かれた。
「絶好調」
 月明りに自身を照らし出させ、わざと村人にルゥカの顔を見せた。村には今この顔のヴァンパイアは一人しかいないことになっているのだから、当然少女が疑われるだろう。
 あるいは、誰かがルゥカを疑ったとしても、別にルゥカにはどちらでもよかった。どうせこの遊びももうすぐ終わるのだ。なら、どちらに転んでも同じこと。
 まあヴァンパイアじゃないんだけどね、とルゥカは口に出さずに心の中でつぶやく。
「未来ばかりを見る愚かな世界に、過去の安寧を教えてあげよう」
 月光の下で、ルゥカは右手を掲げて見せた。
 
 
 
 
第四幕

「おはよう、リィコ」
「……」
 目が覚めたら、ルゥカがこちらをのぞき込んでいた。
「おはよう、リィコ」
「……」
 青い炎は、目の届くところにはないらしい。きょろきょろと首を振りながら、少女は立ち上がる。
「おはよう!」
 考えなければ。これからどうするべきなのか。何が正解なのか。
 どう反応していいのかわからないルゥカのことをとりあえず考えないようにして、少女は思考を続ける。するとルゥカはスッと少女の額に手を伸ばし――。

「おはよう」
「……」
 再び目が覚めたら、やはりルゥカがこちらをのぞき込んでいた。
「うあ……」
「おはよう、リィコ」
「……おはよう、ございます」
「うんうん」
 ルゥカはうなずくと、少女を引っ張り起こした。昨日から、初めてのことばかりで、少女は思考がついていけていなかった。
「あの、リィコって?」
 先ほどから何度かルゥカが少女のことをリィコと呼んでいた。
「私たちが生まれる前に、お父さんが考えてた名前よ。ルゥカとリィコ。私がルゥカで、あなたがリィコ」
「リィコ……」
 口の中で、何度も反芻する。何か自分に欠けていた大事なピースが嵌ったかのような、不思議な感覚。
「私、名前なんてあったんだ……」
「ルゥカとリィコ。ほら、仲良しな名前」
 ルゥカはニィと歯を見せて笑った。昨日自分自身を人類の敵だと話していたけれど、こうして話してみれば、ルゥカは少女が今まで出会った誰よりも優しい女の子だ。
 確かに、彼女と生きるのも良いのかもしれない、と思う。しかしそれでも、リーダーたちに青い炎を渡し、彼女たちが旅立つのを見届けてからじゃないと駄目だ、と少女は頭を振った。
「ごはんはそっちに置いておいたから。それじゃあ、私は用事があるから、ちゃんと良い子にしているんだよ?」
 返事を待たずに部屋を出て、ルゥカは両親を眠らせた。おそらく一日は起きないだろう。自分が出かけている間に少女が殺されたのではたまったものじゃない。それはまだ早い。
 ルゥカは外に出ると、ひょいひょいと屋根に上って、村を見渡した。
「良い感じに呪いが溜まってきたね」
 ルゥカには、村の地面が黒いヘドロのようなものに覆われてきているのが見えた。そこから黒煙が沸きだし、村を包んでいる。
 それは、これまでに殺された、村人たちの無念の、怨嗟の形だ。
 指向性を持たないそれは、ただ村の中で燻り続けている。ルゥカはそれの背中をちょっと押してやろうと、再び村に舞い降りて、人を狩る。
 ルゥカが人を殺す姿を誰かが見るたびに、人々は村の中にヴァンパイアがいることを心の底から信じていくであろう。そしてそれは、ヴァンパイアとされた子どもたちへの攻撃性を高めることにも繋がる。
 だからやる。
 ルゥカは腕を振るい、また一人村の大人が凶刃に倒れた。

「あいつらはまだ見つからないのか」
「あと三人だそうだ」
「年長者と、小さいのと、フィリアスのところのやつで三人か」
 大人たちが話しているところに、ルゥカは声をかけた。
「それじゃあ、もう三人も捕まったんですね」
「っ! ああ、ルゥカちゃんか」
 綺麗な服に身を包んだ清潔な姿を見てルゥカだと判断した男性は、額を拭いながら笑う。
「焦ったぜ」
「そもそも、なんで手枷と鎖は外れてたんだ? アレさえついていれば逃げ出すこともなかっただろうに」
「誰かが外したんじゃないんですか?」
 ルゥカの言葉に、男性はそんなはずが無いと笑う。
「だってあの手枷を外せるのは村長しかいないんだよ」
「うーん。じゃあどうしたのかも謎ですね」
 男たちの一人がルゥカの顔を見ながら言う。。
「まあでも、手枷が外れちゃうとルゥカちゃんとアレの区別がつかなくて大変そうだね。疑われたりしないか――」
 言っていた男の首が飛んだ。
「え?」
 誰もその光景を理解できないまま、ルゥカが笑う。
「まさかバレてるとは思わなかったわ。しっかりルゥカに擬態したつもりだったんだけどね」
 適当に口からでまかせを吐くルゥカ。
「お前! ルゥカちゃんじゃな――」
 二人目の首が捻じ曲がる。残った最後の一人の男が、風船が萎むような声を出しながら腰を抜かす。
「あなたは……まあいいや。しっかり私を目に焼き付けなさい。もう二度と、私とルゥカを間違えないように」
 とルゥカは男に視線の高さを合わせて言った。当然、少女がルゥカのふりをして暴れている、という設定を信じ込ませるためだ。そのために毎回わざわざ生き残る相手を残しておいて、わざと目撃者にしたりもした。
 そうやって村中に、本当にヴァンパイアが潜んでいて村に危害を及ぼしているんだと、彼らに信じさせていく。
 長い時間、ガルサ・ブランカの植えた苗をこの地に根付かせて、育て上げた。そんな仕込み作業の、最終段階がようやく来たのだ。

「リィコ。良い子で待ってた?」
 ルゥカが帰ってくると、部屋は盛大に散らかっていた。青い炎を探したのだろう。疲れ果てたのか少女は部屋の隅で丸まって眠っている。
「なんでベッドで寝ないんだか……」
 ルゥカは微笑むと、少女を抱え上げてベッドに寝かせる。
「オブリビオンになる前のルゥカは、本当にあなたのことが嫌いだったのでしょうね」
 それがまさか今では同じ部屋で生活をしているなど、生前のルゥカが知ったら驚くだろう。
「『過去』とあなたは同じ。不要だと判断され、捨てられた者同士。どこにも居場所のない存在。だからかしら。今私はあなたに本当の姉妹のような感情を抱いているのよ。……本当よ?」

 少女が目覚め、二人で食事を取った。
 それは少女にとって、ようやく手に入った人間らしい生活であった。
 少女が話せば、ルゥカは笑い、言葉を返す。
 人類の敵と言っていたけれど、そんな様子は全然見えない。
 一日が経つ頃には、少女はもうすっかりルゥカのことを信じてしまった。
「……お姉ちゃんって、呼んでも良い?」
 生前のルゥカをそう呼んだ時には、暴力で答えられた。けれど今なら、と少女は願う。
 今なら自分にも、家族ができるかもしれない。
 そんな少女の様子に、ルゥカは微笑ましさを覚えた。
「ええもちろん」
 それと、とルゥカは少女の鼻先をちょんと叩いた。
「せっかくリィコって名前があるんだから、ちゃんと使いましょうよ」
 少女は、ルゥカの言葉にきょとんとする。
「……使って、良いのかな」
「だってあなたの名前でしょ?」
「でも、結局その名前は貰えなかったわけだし」
「じゃあ私が改めてつけたってことにしてあげる。これからリィコって呼ぶわね」
「リィコ……えへへ」
 少女、リィコははにかむ。
「お姉ちゃん」
「なあにリィコ」
「ええと、呼んでみただけ」
 名前がある。この世界に一つだけの、自分の証明がある。自分と他人を区別できるもの。
 この日リィコは初めて個を認められた。
 ああ、たとえ相手がオブリビオン、人類の敵であったとしても、これは喜ぶべきなのだろうか。



第五幕


 そうして、部屋から出られないまま更に数日が経った。扉は固く閉じ、リィコの力では開くことができない。
 この部屋に青い炎が無いことはわかっていた。散々探したし、ルゥカにも聞いた。この部屋から出られず、やることもない。リィコは立ち上がり、窓辺に立つ。
 窓は外から室内を見られないようになっているらしい。リィコは窓に触れ、村の様子を眺める。
 村の大人たちは今でもリィコたちを探しているのだろう。走り回る姿が見える。演劇団はもう次の村へ行ってしまったのだろうか。村から祭りの雰囲気は無くなり、殺伐とした空気だけが感じられる。
「リーダー、逃げられたかな」
 せめてリーダーたちの無事を確認したいと思った。
 彼女たちに何かあっては、罪悪感でつぶれてしまうだろう。たとえ自分がルゥカと暮らすとしても、リィコにはそれが必要だった。
 窓に額を当てる。窓は冷たく、リィコの頭を冷やしていく。
 ルゥカが部屋にいる間は、楽しい。生きていると感じるし、愛を感じる。同時に、ルゥカが出かけている時間は、一人でいる時間は、無限にも感じるほど長く、虚しい。
 何度目かのため息の後、キィと音をたてながら、背後で部屋の扉がゆっくりと開いていく。
「お姉ちゃん……?」
 返事は無い。ルゥカではないのだろう。
 そして、招かれている。
 誰かが外から開かなければ、決して開かない扉だ。外に必ず、誰かが居る。
 リィコは扉へ近づいていく。扉から冷えた、新鮮な空気が流れてくる。
 この部屋は幸せな場所なんだと思う。この部屋を出れば、自分をヴァンパイアだと呼ぶ大人たちに狙われることはわかっている。それでもリィコは、共に虐げられたリィコたちに、青い炎を渡さなければならない。自分だけ幸せにはなれない。
 リィコは拳を固く握り、部屋の外へと歩き出した。
 
 
 日課のように人を殺し、返り血を浴びない綺麗な姿で村を歩く。
 この数日で逃げていた子どもも一人見つかり、残るはリーダーとリィコだけとなった。
 リィコのように虐げられた子どもたちのリーダーがまだ捕まらず逃げている。ルゥカにはそれを探す必要があった。
 もうずいぶんと長い時間隠れている。村のほとんどの場所を、大人たちは探しただろう。
「人目に付かなくて、予想外のところか……」
 もともと住処にしていた箱ではなかった。丘の境界にある小屋でもなかった。
 隠れるのに適した場所を虱潰しに探していく。
 そうした繰り返しの果てに、本来は入れないはずの、学び舎の屋根裏にリーダーは居た。
「見つけた」
 ルゥカはリーダーを青い炎で照らした。リィコの青い炎だ。その優しい光に、リーダーは目を細めた。
「無事だったのね。よかった……」
 リーダーはルゥカを見て安堵のため息をついた。
「それにちゃんと青い炎も持ってきてる」
「約束だからね。みんなを助けないと」
 ルゥカの言葉に、リーダーは力強くうなずいた。
「聞いて、わかったの。みんなどこに連れていかれたのか」
 足音をたてないように器用に歩きながらリーダーは続ける。
「ここの下、学び舎の地下だったの。地下に牢屋があったのよ」
「でもなんでそんなところに……」
 ルゥカは初めて知ったという表情で尋ねる。リーダーは二人にしか聞き取れない声量で話を続ける。
「そこが一番適しているからだと思う。誰も、拷問部屋の上には住みたくないでしょう」
「……そうだね」
 学び舎の屋根裏には正規の入り口は無い。リーダーが勝手に切り抜いたのであろう板をずらすと、それが出入り口になる。
「よくここがわかったわね」
「かなり探したよ。でも、ルゥカのふりをして大人に話せば、どこを探したかだいたいわかったから、あとは探していないところを狙えばね」
「……あなたって、意外に行動力あったのね」
「ふふ、そうでしょ?」
 ルゥカはするりと一階に降り、安全だから下りてくるようにとジェスチャーした。
 合図を見てからリーダーも一階に下りた。膝を曲げ着地し、立ち上がる。視線の先、ルゥカの背後には、村中の大人たちが立っていた。
 リーダーは急いでルゥカに叫ぶ。
「後ろ! 逃げ――」
 言い終わる前に、リーダーは取り押さえられた。
 床に組み敷かれ、じっと周囲を睨む。
「お疲れ様だったね、ルゥカちゃん。よく探し出してくれた」
 ルゥカの頭を撫でる大人の言葉に、リーダーは耳を疑った。
「当然ですよ。だって、ヴァンパイアが居るなんて、怖くて、気持ち悪いじゃないですか」
「な、何を言ってるの? ねえ、裏切ったの?」
 震える声。もはや身動きは取れない。そんなリーダーの様子に、ルゥカは鼻で笑う。
「裏切ったも何も、私はルゥコなんだから、あなたの仲間じゃないでしょう」
 ――そんなはずが無い。確かにあの女は私が殺した。この手で、絶対に。それなら、あそこに立って、村の大人と談笑している彼女は、私たちの味方の少女のはずなのに。あの女、本当にルゥカに成りきったんだ!
 とリーダーは誤解した。そうルゥカに仕向けられた。己の中から湧き上がってくる怒りと共に、暴れだす。
「裏切り者! あの女は確かに、私が殺したぞ! お前は! お前は違う! 裏切りやがった!」
 ルゥカは見下すような冷たい表情で、リーダーの顔を蹴る。
「何言ってるの。気安く話しかけないで。化物のくせに」
 あっさり自分の企みどおりにルゥカとリィコを勘違いしている村人とリーダーに、ルゥカは拍子抜けだった。
 村人は、演劇の内容を細かく説明すればあっさりと信用した。リィコたちは絶対に演劇を一度も見たことが無い。だからそれを知っていることがルゥカの証明となった。
 リーダーは自分の手で確かにルゥコを殺しているのだ。勘違いじゃない。本当に殺した。だから目の前にいるリィコはルゥカではないという結論になる。
 欠伸が出るほど簡単だった。
「……死ね! 死ね! お前ら全員、死んでしまえ!」
 リーダーの頭を踏み、爪をいじりながらルゥカは鼻で笑った。
「無理だよ。あなたには無理無理。じゃあ、あとはよろしくお願いしますね」
 そう言ってルゥカは運ばれていくリーダーを見送り、リィコの待つ自室へと戻るのであった。

 ルゥカは自分の部屋の扉も、窓も超常的な力で中からは決して開かないようにしており、そこはもう中からは完全な密室だった。
「ただいま」
 ルゥカが帰ってくると、そこにリィコの姿は無かった。
 綺麗に整えられた無人の部屋を眺めながら、ルゥカは笑う。
「ふうん、そう。そういうことするんだ……」
 中から決して開かないのだから、外から開けるしかない。けれど両親は毎日眠らせている。誰かほかの人が、わざわざ来てリィコを連れて行ったのだろう。
 ルゥカには、心当たりが一人だけあった。
「となると、すれ違いになっちゃったかなあ」
 面倒くさそうに髪をかきあげる。
「勿体無いなあ。もう少し楽しみたかったのに」
 ルゥカは家を出ると、そのまま来た道を戻り始めた。


 果たしてリィコを部屋から連れ出したのは、アルデアであった。
 リィコはアルデアを外に残し、一人で地下牢へと飛び込んだ。厭な空気に包まれたそこには見張りは居なく、ただ牢が並ぶのみだ。
 その中のいくつかに、仲間の姿があった。
 リィコは急いで牢に近づいて、檻の中に呼びかける。
「リーダー! 大丈夫!?」
 鎖で繋がれ、両手を鉄製の杭で貫かれ壁に固定されたリーダーは、ゆっくりとリィコの方へ視線を向ける。その表情には、怒りと侮蔑、嫌悪があった。
「笑いに来たの。まさかアンタが、裏切るとはね」
 リィコには、リーダーが何を言っているのか理解できなかった。裏切ったつもりなどまったくない。だってリィコには何もできなかったのだから。
「まあそうよね。私たちを見捨てれば、ルゥカに成り代わって、幸せを手に入れられるんだから。そうするわよね」
「な、なにを言っているの?」
「ここには私たちしかいないんだから、しらばっくれないでいいのよ。気持ち悪い、虫唾が走る。……私のことを、村に売ったでしょ。私をだまして、ここに入れた」
 言われてようやく、ルゥカがやったのだと気がついたリィコは、急いで説明する。
「それは、ルゥカが――」
「ルゥカはアンタでしょ!」
 リーダーの叫び。
「ち、あの、ルゥカは、生きてて……」
「アンタ私をバカにしてるの! 私が! 私が殺したのよ!? 確かに! 何度も! 忘れるわけないじゃない!」
 リーダーの気迫に、リィコは何も言えなくなってしまった。静寂に、息を落ち着かせたリーダーは静かに告げる。
「生きるって意味では、あなたは正しいわ。でも、私たちはあなたを許さない。絶対に! 『呪ってやる』!」
「あ――」
「ルゥカちゃん、こんなところに居たのかい。勝手に入っちゃだめだよ、危ないからね」
 何かを言おうとして、外から入ってきた大人に言葉遮られた。そのままリィコは、大人に手を引かれ外へと連れ出される。
「あの――」
 と声を出したところで、リィコは目の前の大人に思い切り蹴られ、転がった。突然の痛みに混乱したまま、リィコは呻く。
「お前、俺たちを出し抜いたつもりかあ? ルゥカちゃんに成りすませば、騙せるとか思ったのかよ!」
 再び蹴りが迫る。そしてリィコは気を失った。



第六幕


 次に目が覚めた時、リィコは牢の中であった。他の子どもたちと同じように鎖につながれているけれど、鉄製の杭は刺さっていない。
 先ほどまでいた地下牢とはまた別の場所のようだ。ここにはリーダーたちは居ない。
「目が覚めたみたいだね」
 声の方向へ視線を向ける。牢の向こうでは、椅子に座ったアルデアが足を組んでこちらを眺めていた。
「やあ。元気かな」
「アルデア、さん……」
「状況を理解できないという顔だね。ここはこの村の最奥。『逆鷺の牢獄』だ」
「逆鷺……?」
「見えないのかい? 天井に逆さに吊るされたものが何か」
 言われて、上を見る。闇の中に何かが見えた。ああ、あれは。
「ここは村の地下。文字通りこの村は、犠牲にした子どもたちの上にあるのさ」
「なんで、こんな……」
 アルデアは勢いよく立ち上がり、両腕を広げた。
「なんで? 決まってるだろう! 演出だよ!」
「……」
「よりインパクトのある惨劇になるように、より鮮烈な過去となるように、必要な演出だったのさ」
 アルデアの言葉が理解できないリィコはただ唖然とする。
「さて、あらためて名乗ろうか」
 アルデアは姿勢を正すと服の埃を払うように叩いてから、その『極彩色』の長髪を揺らしながら優雅に一礼する。
「僕はオブリビオン。『劇作家』のアルデアだ。あるいは、逆鷺・縁、ガルサ・ブランカとも名乗っているね」
 それはかつて、この村を救ったという戦士の名前と、この村を支配していたというヴァンパイアの名前だった。
「僕は本当はヴァンパイアでも猟兵でもないんだけどね。敬意とわかりやすさを求めて、そんなふうに名乗らせてもらったよ」
 アルデアは、逆さにされた鷺がデザインされた杖を玩びながら笑った。
「別にあなたのことなんてリィコは興味ないでしょう。三流作家」
 かつりかつりと足音を響かせ、階段から現れた人影。それはルゥカであった。リィコは、ルゥカもオブリビオンと名乗っていたことを思い出した。ああつまり、この二人は仲間なのか。リィコはそう理解した。
「ああ、やっぱり来たんだね。ルゥカちゃん」
「ちゃん付けするな。生前のルゥカはあなたに惚れていたらしいけど、私は関係ないからね」
 ルゥカはアルデアに目もくれず牢の前に立つと、そのまま屈んでリィコに視線を合わせた。
 表情は笑みを浮かべている。あの部屋に居たときとまったく変わらない笑みを。
「前にも言ったかしら。私たちは『過去』なの」
 確かに前に一度聞いたはずだけれど、リィコには理解できなかった。
「人が未来へ進む過程で捨てられたモノ。それが私たち。あなたと同じよ。可愛そうなの、過去は」
「捨てられたから、殺すの?」
「理由なんてそれぞれだけど、私は違うわ」
「そこは私たち、かな。少なくとも僕も違うよ。復讐じゃない。そもそも僕たちは、本来骸の海に沈められて、そのまま眠り続けるだけのもののはずだったんだ」
「でも、目覚めた。私たちは、何の因果か、この世界へと染み出してきた。なら、私たちが正しいと思う行動を取るべきじゃない」
 ルゥカはわかるかしら、と首を傾げた。ぜんぜんわからない。リィコは繋がれた両腕の鎖を鳴らす。
「未だ不幸な子どもたちを作り続けるなんて、この世界は間違っているのよ。だから壊すの、愚かな、憎きこの世界をね」
「……人類は、もうこれ以上未来に進むべきじゃないと、僕は思うんだ」
 アルデアはルゥカの横に立つと、右手で檻を握った。
「過去は、絶対なんだよ。決してやり直せない、絶対のものだ」
 何かを思い出しているのだろうか、アルデアは瞳を閉じた。
「時間が過去から未来へ続く限り、平穏も過ちも、すべては手の届かないところへと過ぎ去ってしまう」
「平穏は過去にしか無くて、不幸は未来にある。君たちはいつだって、今よりも地獄へと進んでいくんだ。楽園は背中にあるんだよ。愛は過去にあるんだ。わかるだろう? 過去には、君が生まれる前には、両親だって君たち二人の名前を考え、平等に愛そうと準備をしていたんだ。君はその時には、愛される子どもだったんだよ。ああ、それがどうだ、未来へと進むごとに君はどんどん苦しくなるだろう? そして、これからもっと悲惨な目にあうんだ」
「でも、もしも過去とか未来なんて区別が無い、完全な世界を作るとしたらどうかな」
 ルゥカが、その先の言葉を引き継いだ。
「過去と未来がなくなれば、すべての過ちがなくなるの。すべては、取り返しがつく。誰も不幸に死ぬことが無い。愛されない子どもは生まれない。わかる? 過去の後悔も、未来の不安も無いならば、そこには満たされた世界があるはずなのよ。私は、そんな楽園を永遠にすると決めたの。私はあなたの代わりに愛されていたんじゃないのよ! 私は、私として、あなたはあなたとして愛されるの。そこではきっと、生まれてくる全ての子どもが愛される。それがどれほど貴いことか、あなたならわかるでしょう?」
 今の世界は不完全であると、過去と未来というものがなくなれば世界はより完全な形になると、過ちは起こりえない、愛されないものは生まれることもない、完璧な世界になると、二人はそう信じていた。少なくとも、二人にとってはそれが世界を壊す目的だった。
「こんな不完全な、誰かの不幸を土台とするような世界なんていらない。だから僕は、そのために世界と、君たちと戦うと決めたんだ。そのためには、豊富な過去が必要だ。悲惨な、強力な過去が。この村はまさにそれだよ。取り返しのつかない惨劇となって、この村は滅びるんだ。そして村は過去になる」
 それっぽい理論を並び立てるオブリビオンたち。そのどれほどが真実なのかも、リィコにはまったく理解できない。ただ、たとえ真実でなかったとしても、アルデアとルゥカはそう信じている。それだけは理解できた。
「後ろを見てごらん」
 アルデアの言葉に、リィコは体を捻る。石でできた壁だ。いくつか規則的な隙間が並んでいる。
「それは、『逆鷺エデ』の居た牢に繋がっていてね。声がよく聞こえるだろう?」
 リィコの居る牢は、他の子どもたちが捕らえられている牢の隣に位置している。学び舎の前にある村の広場の地下、それがこの牢の場所だ。
「ああ、『逆鷺エデ』とは君がリーダーと呼んでいた少女の名前さ。本当はエーデリアというのだけれど、僕が改めて名付けた」
 良い名前だろう、と牢をノックしながらアルデアは笑う。
「『逆鷺エデ』は、エーデリアという名前を捩って、僕がつけたのさ。僕のエデって意味だよ。僕はね、人に名前を付けるのが趣味なんだ。名前を付けて、自分のものってことにするのがね。だから君はここでは、『逆鷺リコ』だよ。僕のリコ」
 アルデアのユーベルコード『我が喜劇で全てに救済を』は、『戦場で死亡あるいは気絶中の対象を【名前と役割を与えることで自身の演劇の登場人物】に変えて操る。戦闘力は落ちる。24時間後解除される』というモノがある。つまり、彼の能力の為に、名前を付けることが必要になる。
 だから彼は、そうやって自分のものだという名前を付ける。
「ほら、耳をすましてごらん。エデの声が聞こえるだろう?」 

 
 冷たい部屋だ。
 石畳の暗い牢獄の奥、檻の中で鉄杭と鎖に繋がれた少女、エデは小さく息をする。
 吐く息は白く、掠れている。体が震えるたびに、鉄杭が体に痛みを与えた。
 そこは『逆鷺の牢獄』。エデのような子どもたちが最後にたどり着く場所だ。
「おうい! とうとうあのガキがヴァンパイアとしての正体を晒したぞ。殺人事件が起きたんだ!」
 慌てた様子で男が牢へ降りてくると、仲間たちに報告する。
 聞いてすぐにエデはリィコのことだとわかった。もう捕まっていない子どもはリィコしかいない。とエデは自分の持っている情報から判断する。
 他の子どもたちは全員、それぞれの牢の中で繋がれている。
「やっぱり俺たちは正しかった。ヴァンパイアは、殺さないと駄目なんだ」
「自分の子は違うなんて言ってる親もいたけど、その結果がこれだ。早く殺さないと」
「その話をしに来たんだよ。もう準備は整ったから殺せって、村長が」
 外から来た男の言葉に、エデは体を大きく揺らした。男たちは集まって、まず誰を連れていくかという話し合いを始めている。
「私たちが! ヴァンパイアのはずが無いだろう!!」
 鎖を鳴らしながらエデは叫ぶ。
「私がヴァンパイアなら、お前を殺してる!」
 男の一人が、エデの方へぐるりと顔を向けた。男の瞳は、思考を放棄しているモノの瞳だ。
「大人になったら強くなるんだろう? 知ってるぞ。だからそうして子どもの間は擬態するんだ。知ってるぞ。『演劇で見た』からな」
「そんな! はずが! ないだろう!」
「このチビで良いんじゃねえか?」
 子どもたちの中でも一番小さい子の牢の前に別の男が立つ。
「やめろ! 私にしろ! 私以外に手を出すな!」
 エデの言葉など聞こえていないかのように、男たちは牢の扉を開き、杭と金槌を握る。
「もう二度と、人間の中に生まれてこようなんて思わないくらい、恐怖を味合わせてやる」
「村のために」
「平和のために」
「人類をなめるな!」
「――ッ!!」
 もう動けない子どもの、叫び声がこだまする。男たちは杭を打ち付け続ける。エデは無理やり鉄杭の刺さった腕を壁から引き抜くと、檻にしがみついた。
「やめろ! やめろ! やめろおおぉおおお!!」
 厭な音が響く。硬いものを潰す音。そして、やがて無音になった。
 エデは檻にしがみついたまま地面にうずくまる。あの檻の中で何が起きたのかは容易に想像できた。
 そして、何かを引きずる音が聞こえる。
 ああ、音に反応してエデは顔をあげてしまった。そこには、全身があらぬ方向に曲がり、杭だらけとなった子どもが――。
「ぁぁああああアアアアア!!」

 二人を残し地上へ出たアルデアは、引きずられてきた子どもの死体の前に立つと、杖で軽く死体を突いた。
 アルデアのユーベルコード『グラン・ギニョールの夢』が発動される。『合計でレベル㎥までの、実物を模した偽物を作る。造りは荒いが【自身が名前と役割を与えた演劇の登場人物】を作った場合のみ極めて精巧になる』という効果のままに、そっくりに作られた子どもの死体が作られる。
「それじゃあ『逆鷺ゴウ』くん、こっちを吊るしてきてもらおうかな」
 アルデアに『逆鷺ゴウ』と呼ばれた男はうなずくと、死体の偽物を持って吊るすために広場へと向かった。
 アルデアはこうやって、村人全員に名前を付けていた。そして必要な時に必要な分だけ、気絶させて操っていた。
 ああ、子どもたちが演劇を見たことが無いのも当然だ。この村にやってくる演劇団とは、つまりはアルデアが操る気絶させた子どもたちと、そして『逆鷺の牢獄』に吊られた死体なのだから。
「さて、こっちは持っていこうかな」
 吊るされた子どもの死体は、頃合いを見てユーベルコードを解除する。そうすれば、死体の偽物は消えてしまう。それこそがヴァンパイアの死体の正体であった。
 すべては彼の手のひらの上、この村に彼を阻めるものは無く、ただ舞台の上で踊らされるばかりであった。


 リィコは壁に張り付いたまま、力をなくしたかのようにだらんと首を下げた。
 ずるり、ずるりと引きずる音が近づいてくる。
 アルデアが、子どもを引きずって降りてきたのだ。
 ああ、とリィコには理解できた。そしてこの上に吊るされる。逆さにされる。
「これからしばらくは、今みたいなのが聞けるよ」
 アルデアはそう笑った。ルゥカも笑っている。ここでリィコはようやく理解した。目の前の化物は、根底から相容れない。決して分かり合えない存在だ。
「そして次は君の番だよ、リコ」
 アルデアの言葉と共に、『逆鷺の牢獄』に二人の大人が入ってくる。
「お父さん、お母さん……」
 それはリィコとルゥカの両親だった。そしてその手には、冷たく、黒い鉄杭が握られている。
「さあ、どうぞ。あなたたちの手で、あなたたちの子どもに、罰を」
 アルデアが牢の扉を開き、二人を中に入れる。
 二人は、化物を、怨敵を見る目でリィコを睨む。
「あなたのせいで、私たちの人生は散々よ……」
 母、ルールーカが、肩を震わせ、涙を流しながら零す。
「私が、何を言われたか、どれだけ、誹りを受けたか」
「おか、お母さん……」
「さあ、もう二度とヴァンパイアが生まれないように、生まれてこられなかったリィコちゃんのために、この化物を退治しなければ」
 アルデアはリィコの腕を掴むと、手のひらを重ねて壁に押し付けた。
「まずはここに、手のひらに杭を打ち付ける! 逃げられないように!」
 言葉に導かれるように、ルールーカは金槌を振りかぶった。
「返してよ! リィコを! 私の! 幸せを! 返せ!」
「お母さん! やめ――」
 鉄杭が、リィコの手に突き刺さる。
「ァアアアア!!」
「あらら」
 ルゥカが檻の向こうで興味深そうに眺めている。
「もっと、もっと!」
 アルデアの言葉に合わせて、鉄杭を何度も金槌で打つ。そのたびに深く刺さっていき、リィコは苦悶の声をあげる。
「さあ、次は苦痛を! 生まれてきたことを公開するほどの苦痛を!」
 アルデアは布袋に砂を詰めたものを渡す。ブラックジャックなどと呼ばれるその武器は、外傷を作らずに体に痛みを与えることに特化した武器だ。
 スヴェリオはそれを握ると振りかぶる。
「お前が殺したやつらの中にな、俺の弟がいたよ」
 リィコには何を言っているのかわからない。それはルゥカが殺した村人の一人だ。スヴェリオは憤怒の表情で拳を強く握った。
「俺は後悔しているよ。あの日、ルゥカに止められた時、無視してお前を殺すべきだったってな!」
 ブラックジャックが振り下ろされる。鈍い衝撃。不器用に、不正確に何度も振り下ろされるそれは、リィコの体をいとも容易く、壊していく。
「お前さえ! お前さえ生まれなければ! 俺たちは幸せになれたんだ!」
 二人の背後で、ルゥカが声を出さずに笑っていた。



第七幕


 どれくらいの日々が経っただろうか。ここに来てからはもう時間の感覚は無い。杭だらけになった腕を見る。もはや自由に腕を動かすこともできない。
 アルデアやルゥカによって、長持ちする処理を行われているらしく、なかなか死ぬことができない。リィコは、痛覚がマヒすることもできず、日々新鮮な苦痛を味わう。
 それでも、とリィコは泣きながら自分に杭を打つ両親を見る。きっとアルデアとルゥカは最後に彼らも殺すのだろう。
 一度もリィコとして扱われなかったけれど、どれだけ酷い目にあったとしても、それでも彼らに生きていてほしいと願うのは、ああ、あるいは呪いなのだろうか。
 ただ、リィコには理解できていた。この村の人は、あのアルデアという男に騙されて、踊らされているだけなのだ。直接手を下した多くのことはきっと許されるべきじゃないと思うけれど、それでも彼らもまた被害者だ。
「優しいんだね、あんな両親にまで同情しちゃって。これはもう、痛みで屈服させるのは難しそうだね。ここからは、心を折りに行くよ」
 アルデアは杖を回し、踊りながらそう言った。そして次の日には、少年が引きずられてきた。
「ッ!!」
 杭だらけの、見るも無残な姿。しかし生きている。こちらを見ている。
 わずかに指先を動かしている。
 目の焦点はあっておらず、口はパクパクと動くだけだ。
 ああでも、それでも生きている!
 そして少年は、生きたまま、リィコの目の前で釣りあげられていく。
「ぁぁぁぁぁあああああ!!」
 少年の声が響く。
 リィコは耳を塞ぎたかったけれど、不自由な両手がそれを許してはくれない。
 ただ殴打で腫れた目蓋を必死に閉じるばかりだ。
「――――」
 そうしてやがて、少年の声は途切れた。
 リィコは、泣きながら嘔吐する。
 もうやめて、と懇願する。
 それでもアルデアは止まらなかった。
 そして、まるでカウントダウンかのように、数日に一度、時折引きずられ、吊るされていく子どもたち。
 自分の体に増えていく杭。
 両親からの、村人からの罵倒と暴力。
 いつからだろうか、殺してくれと叫ぶようになった。
 目を潰せと叫ぶようになった。
 耳が聞こえないよう、悲鳴が聞こえないようにと願うようになった。
 けれど、リィコの五官は未だ健在で、地獄に居るのだということを植え付ける。
 ここにいる限り、自殺も許されない。死なないように管理されている。
 だからきっと、心が先に死ぬだろう。


 牢の子どもたちは、ついに自分一人になった。エデは、ただ力なく項垂れる。
「お前など、生まれてこなければ」
「人殺し! エーデリアを返してよ!」
 それはいつか、牢へ来た両親の言葉だったか。
「いらない」「邪魔」「どけ」「消えろ」「死ね」「そもそも、生まれてきたことが間違いだ」「よく自殺しないよね、恥ずかしくないの?」「誰にも愛されないのに、生きる意味なんてあるのかい?」
 生まれてから今まで、そんなことばかり言われてきた。居ないものとして扱われ、ようやく存在を認められたかと思えば殴られ、蹴られ、お前など生まれなければと言われた。
 ――私も、そう思うよ。
 ――こんな世界なら、こんな私なら、生まれてこなければよかったのに。
 声も出ない。体を動かす気力もない。
 もはや怨みしか残っていない。
 牢の前に、ルゥカが立っている。エデにはそれがリィコに見えていた。自分を裏切り、幸せを、愛を、居場所を手に入れた女に見えていた。
「――――」
 それは呪いの言葉。消えてしまえと、嫌いだと、死ねと、ただ叫ぶための言葉。
 どろり、と体中の傷から、黒い泥のような血があふれ出る。
 口からも、目からも。
 椅子に座り、肘をついて少女はエデの姿を笑っている。あれは悪魔の笑みだ。エデは、自分が人生最後に見る顔がアレであることを酷く嘆いた。
 ごぽりごぽりと黒があふれ出る。折れ曲がった足から。穴だらけの腕から。
 やがてそれは視界を黒く塗りつぶし、エデは何も見えなくなってしまった。

「これで、君以外は全員死んだよ」
 アルデアの言葉に反応する体力もリィコには残っていなかった。
「どんな気分なんだい? 世界に絶望するか、僕たちを憎むか、すべてを諦めているか。興味はあるけど、答えてはくれないだろうね」
 牢に入ってきたアルデアは、リィコの前で屈み、その姿を眺める。
 もはやこれを見て人間だと判断できる人は少ないだろう。ましてや、まだこれでも生きているなど、とうてい想像もできない。
 アルデアは、リィコの体中に無数に刺さっている杭を一本ずつ抜いていく。杭は抜けにくい形状をしていたが、無理やりそれを引き抜いていく。
 引き抜いた箇所は、黒い、虚ろな、暗い穴になっていた。そこから血は流れず、ただ穴が開いている。
「上手くできているね」
 次々とアルデアは杭を引き抜いていく。杭を引き抜くたびに、リィコは小さく痙攣するが、声は無い。杭を引き抜いた箇所すべてが穴になり、胸に刺さった最後の一本以外すべてを抜き終わるころには、黒い穴だらけの人型がアルデアの前に転がっていた。
「それじゃあ、仕上げといこうか」
 ルゥカが入ってくると同時に、ルゥカの背後から、黒い泥が流れてくる。
 これは、『リィコ』を恨む呪いだ。エデが最後に思い浮かべ、恨んだのが、子どものころからずっと一緒であった『リィコ』だったため、ルゥカではなくリィコの方へ流れてきた。
「はは、上手くいきそうだね」
 指向性を持った呪いを呼び水に、村中に充満していた呪いが、一直線にリィコに向かってくる。
 それらすべてが、リィコの体中の穴へ入っていく。
「ァァァアアアアアアアア!!!」
「さあ『逆鷺リコ』よ! 『呪いの器』よ! その呪いは君の力だ!」
 アルデアの目的は二つあった。一つは以前説明した通りのもの。つまりこの村を惨劇の過去とすること。
 そしてもう一つがこれであった。
 呪いの器を作り出すこと。呪いを溜め、保管し、利用するための器を用意すること。
 そしてついに、それは完成した。

『なんで』
『苦しい』
『憎い』
『お父さん』
『お母さん』
『僕は』
『私は』
『生まれなければよかったの』
『誰の祝福もない』
『誰からも必要とされない』
『私を見て』『聞いて』『触れて』『感じて』『笑って』『泣いて』『怒って』
『私を愛して』
 ああ、私たちはみんな、愛されるために生まれてきたはずなのにね。
 
「――!」
 ぐにゃり、とリィコの、逆鷺リコの周囲の空間が歪む。体が黒く発光し、穴から黒が噴き出す。
「ははっ! すべてを壊すのさ! 君がこの村を悲惨な過去にするんだ!」
 アルデアが指を鳴らすと、逆さ吊りにされた骸が降ってきて、牢の天井が崩れていく。そうして村の広場までの大きな穴が出来上がった。
 逆鷺リコの体が、黒い呪いに導かれ、手を引かれるように上がっていく。
 アルデアは、杖で二度地面を突く。
「『常闇のトラジェディ』!」
 それは、アルデアのユーベルコードであった。『【恐怖】の感情を与える事に成功した対象に、召喚した【呪いの化身】から、高命中力の【対象に喰らいつく化身の頭部】を飛ばす』という能力。
 村の上空へ躍り出た逆鷺リコの姿に、騒ぎを聞きつけた誰かが恐怖した。
 と同時に、その誰かの隣に、呪いの化身が現れた。オリーブグリーン色の薄汚れた布に包まれたその化身は、達磨型の胴体に、人の腕のような脚が四本生えていた。達磨の頂点からは柔らかい首が3mほど伸び、その先端には球形の顔がある。布に包まれた顔には目や鼻は無く、巨大な口が醜悪に開かれている。
「ヒッ!?」
 化身の姿に、村人が声を漏らす、と同時に化身の頭部が飛び、村人の上半身が喰われ、消えた。
 倒れた村人の下半身から、黒い靄が湧き出す。それは村人の悔い、怨み、恐怖の想い。靄はそのまま逆鷺リコの体に空いた穴へ吸い込まれていく。
 そこからは、虐殺であった。それを見た誰かが恐怖し、さらに化身が現れた。そうして爆発的に村中に恐怖が広がっていく。
「すごい! すごいじゃないか! 期待以上だよ! ああ、この村の惨劇からオブリビオンが生まれるとしたら、あの化身の姿になるんだろうか」
 それはあまりにも、人の虐殺に特化した力だった。この化身が彼女の抱いていた怨みのものか、取り込んだ呪いによるものかは誰にもわからない。それでもアルデアは楽しそうにその光景を眺めていた。
「思っていたより、何の感情も湧いてこないものね」
 生前の自身が住んでいた村が滅びる光景を、ルゥカは無表情で眺める。
「嫌な気分かい?」
「まさか、この程度かって気持ちなだけよ」
「それは良かった」
 それじゃあ行こうか、とアルデアとルゥカは地上へと出る。すべてが終わった後に、逆鷺リコを回収し、この村を完結させるために。
「さあ、最後の一手だね」
 そう言ってアルデアは、青い炎を取り出した。闇を退けるとリィコたちに教えた、青い炎。しかしそれは、言葉通りのものではなかった。
 これは、呪いを燃料として燃える、苦痛を与える炎だ。呪いをもとに、新たな呪いを生み出すための、アルデアのアイテム。それがこの青い炎の正体であった。
 それを知らず、自分たちを救うためのアイテムだと信じた子どもたちを嘲笑うかのように、アルデアは青い炎を掲げた。
「さあ、燃えろ!」
 そうして村中に、青い炎が燃え広がった。



第八幕
 

 ――声が聞こえた。
 それは聞き慣れた声。
 生まれてから今まで、同じ境遇として肩を寄せ合って生きてきた人たちの声。
『起きて!』
 声が聞こえる。けれど、もう目覚めたくなかった。
『このまま眠ってはダメ!』
 でも、目覚めても、何もできない。何も、したくない。
『それでも! あなただけはまだ生きている!』
 それがなんだというのか。生きているからなんだというのか。こんな世界なら、生まれてきたくなんてなかった。だから、このままでいい。
『私たちのために! 今は起きて!』
 父が定めたルール。『自分以外のために生きること』という言葉に反応して、目が覚めてしまう。
『そして何よりも、あなたのためにね』
 目の前に居たのは、子どもだった。会ったことの無い、しかし知っている気がする子ども。
『私たちを、悲劇で終わらせないで』
『最後に、幸せを見せて』
『あなたが! あなたこそ!』
 でも私に何ができる?
 私のせいで、村の人がどんどん死んじゃうの。
『間違えないで! あなたのせいじゃない! あいつらのせいよ!』
『そして、まだ今なら助けられる人が居る!』
『あなたなら!』
 私に、そんなこと。
『一度だけ、助けてあげる。私たちのために、あなたのために』
『一度だけ。だから、気合を入れて、生きるっていう想いで、自分を動かして』
『その胸に刺さった最後の杭を、引き抜いて』
 このまま眠ってしまってもよかった。
 すべてを終わりにしてしまってもよかった。
 それでも目蓋を開いたのは、その先に立っているのがわかったからだ。
 ――お姉ちゃん。
 少女は、無表情でこちらを見ていた。
 あの、姉の残滓のような存在は、それでも私にとっては唯一の家族だった。彼女が、独りになろうとしている。たとえ偽りでも、私に愛をくれた人が。
 彼女の歩む先は、地獄なのだろう。世界を恨み、壊そうとしている。
 ならば、そんな彼女を一人にして、先に眠ってしまっていいのだろうか。
 右腕が、動いていた。
 右手はいつの間にか、胸の杭を握っていた。
 力を籠める。
「ぁ、っぁ」
 口から息が漏れる。
 姉の表情が変わるのが見えた。こちらを見て、笑っている。ああ、あれは肉食獣がごとき笑みだ。
 そう、それで良い。
 だから、私も行こう。
「ぁぁああああ!!!」
 右手で、最後の杭を引き抜いた。
 
 
 次の瞬間、少女は、リィコは呪いの化身の横に居た。右足を軸に体を回し、遠心力を利用して深く、杭を刺す。
 と同時に、化身から炎が燃え上がった。それこそが呪いの力、そしてリィコの力。
 焼かれ、崩れていく化身から離れ、リィコは杭を姉に向けた。
 眠っていた間に、リィコと話した温かい気配は消えていた。もはやリィコに残ったのは呪いのみである。それでも、とリィコは姉を睨む。
「なんだか、元気になったみたいね」
「そういうお姉ちゃんは、元気がないみたい」
 その言葉を聞いて、ルゥカは無邪気な子どものように笑った。
 自然体で構えるルゥカを前に、リィコは左の手のひらに杭を突き刺した。
「へえ、呪いをそう使うんだ」
「祈り、刺し、抉り、瀉血せよ。これは……私への罰」
 そして勢いよく抜き取ると、ルゥカの懐に飛び込んだ。
「私を燃やし、夜空を照らす、蠍の火!」
 杭に付着した血が燃える。同時にリィコの腕も燃え上がった。
 胴体を狙った、突くように繰り出された杭を、横から腕を弾くことでルゥカは躱した。そしてそのまま、掌底でリィコの首を狙う。
 リィコは膝の力を抜き勢いよく体を落とすと、そのまま転がって大きく距離を取る。
「ずいぶん動きが良くなったね。まるで別人みたいじゃない」
 ルゥカは右腕を掲げる。
「じゃあこっちも少し本気で行くね。『瑠璃刀、抜刀』」
 ルゥカの右腕が瑠璃色のオーラを纏う。『【瑠璃色のオーラを纏った手刀】が命中した対象を切断する』という単純な能力。
「――ッ!」
 あの瑠璃色に当たると拙い。リィコにもそれは理解できた。
「ふっ!」
 大きく息を吐いて、リィコは自身の鳩尾の穴に杭を突き刺す。そして杭を思い切り捩じった。
『自身に【鳩尾にある「虚ろな穴」から溢れ出る呪い】をまとい、高速移動と【黒い泥のような呪いの塊】の放射を可能とする。ただし、戦闘終了まで毎秒寿命を削る』
 杭を引き抜く。胸から噴き出す黒い呪いが、リィコを包んでいく。それを見て、ルゥカは凄まじい速度でリィコの懐へ踏み込んだ。
 ルゥカの踏み込み先には、すでにリィコが杭を構えていた。凄まじい反応速度だ。ルゥカは飛び上がり、両腕にオーラを纏わせる。
「速い速い!」
 ルゥカの楽しそうな声が響く。リィコを飛び越えて背後を取るルゥカ。リィコは振り向きざまに裏拳のように杭を突き刺しにいく。
 しかしルゥカの方が速く、振りかぶったリィコの右二の腕をルゥカの手刀は深く切り裂いた。
「切り落とさないよ。あなたは呪いの器だもの、壊したりしないわ、勿体ない」
 そのまま全身深く切られていく。腕を切られ、止まってしまったリィコには反応できない。
 リィコは全身から血を流しながら倒れていく。ルゥカはオーラを消し、手を振っている。
 倒れ込んだリィコは視界の端に、村人と集まって逃げている母親の姿を捉えた。捉えてしまった。
 リィコの表情が変わる様に、ルゥカは唇の端をあげる。
「まだ生きてたんだ」
 ルゥカはぐるりと向きを変えると、母親のもとへ飛び込んだ。
「え?」
 それは誰の声であったか。突然現れたルゥカの姿に驚いた瞬間、母親の周りに居た村人たちが惨殺されていく。
「さようなら!」
 右上に振りかぶったルゥカの手刀が母親に迫る。リィコは、無理やり自分を立たせ、その高速移動能力で母親とルゥカの間に割り込むと、母親を守るようにルゥカの二の腕を払い、そのままルゥカの脇腹に杭を突き刺した。
「やるじゃない!」
 ルゥカはバランスを崩しながら嬉しそうに笑う。
「燃えて――」
 と叫ぼうとして、背中に何かが刺さった感触があった。
 鋭い痛みと、熱。
 バランスを崩し、前に一歩踏み出しながら振り返る。
 そこには、ナイフを持った母の姿があった。
「……」
 母、ルールーカは唖然と、自分が持ったナイフと、倒れていくリィコと、脇腹に刺さった杭を抜きながら苛立った表情を浮かべるルゥカを交互に見る。
「ぁ」
 ルールーカは俯き、口を大きく広げたまま頭を抱えた。穴だらけのリィコの姿に、昨日まで一緒に居たはずのルゥカが村人を殺す姿に、理解しようとする何かを必死に拒むように。
「ぁぁあああ」
「ええ、お見事です、『逆鷺ルルカ』さん、後は『すべてを理解する』だけですね。それじゃあ『お好きにどうぞ』」
 アルデアが、ゆっくりとこちらに近づいてくる。両手は血に染まっており、背後には屍の道が続いている。
「結局自分の手で殺しちゃいました」
 手をひらひらと振りながら笑うアルデアに、ルゥカは呆れながら言う。
「だからあなたは三流なのよ」
「甘んじて受けましょう。ええ、失敗なくして成長はないのですから」
 失敗だ、と何でもないかのように言う。この村の惨状を、自分にとっては望んだものでもない失敗だったと、飽きたおもちゃを手放すように。
「次はもう少し上手くやりたいですね。なんとなく、コツもわかってきましたし」
 実際、アルデアにとってこの村は何も特別ではない。取るに足らない遊びだった。悲惨な過去としてオブリビオンの苗床となればいいし呪いの器が完成すればいいと思うが、別にそうならなくてもいい。
 偶然であろうか、ルゥカがオブリビオンとしてこの世界に染みだし、リィコが呪いの器として完成した時点で、この村は十分成功だったのだ。少なくとも、アルデアにとっては。
「だから、この村はこれでおしまいです」
 同時に、すべてを理解したルールーカがゆっくりとナイフを持ち上げ、自分の首に添えた。
「や、やめ」
 リィコの制止の声を聞くこともなく、ルールーカは自分の首を深く切る。最後まで、ルールーカがリィコを見ることはなかった。すべてを理解した今、ルールーカには、リィコを直視することが耐えられなかった。だから、切った。
「ご……」
 それは口から漏れた音か、それとも何か意味のある言葉であったのか。
 噴水のように血を吹き出しながら倒れていく母の姿に、リィコの思考は止まった。そして、母から流れてくる黒い泥。それこそが、この村最後の呪いであった。
 カコン、と逆鷺リコの脳内で何かパズルがハマるような感覚があった。
 ごう、とリィコの体が燃え出す。
「おや?」
 リィコの髪が、炎のように、オーラのように伸び、揺らめく。
 穴から出る呪いの黒が、彼女の肌を這い、紋様を描く。
 少女の薄赤い髪が灰のように白くなり、瞳が赤くなる。
 少女は燃えていた。背中の穴から出る黒い呪いは触手のように何本も伸び、うねっている。
 絶対に、二人を殺さなければならない。怨嗟か愛情か、それだけが、少女を動かした。
「へえ」
 リィコの体が跳ね起きる。
 黒い触手が振られ、ルゥカはそれを腕でガードした。
「なっ!?」
 当たった個所から、炎が燃え出す。そのまま撓る鞭のように、触手はルゥカを吹き飛ばした。
「ずいぶん面白い姿になったね」
 そのまま力強く、一歩足を踏み込み、目にもとまらぬ右ストレートを繰り出す。
 アルデアは両腕をクロスさせ拳を受ける。ごきりと鈍い音がして、アルデアは吹き飛んだ。
「ハァ……ハァ……」
 リィコは全身で息をする。体が千切れそうな感覚。もはや体力は限界であった。それでも触手が二人の飛んで行った方へ追撃に伸び、火柱が上がる。
「容赦がないなあ……。かなり痛かったよ」
 火炎の向こう側から、アルデアの声が届く。
「アアア!!」
 叫びと共に、さらに触手を伸ばす。
 凄まじい速度でアルデアに迫るそれは、しかしあっさりと弾かれてしまった。
「でも、練度不足だ」
 アルデアはそのまま杖を投げた。杖先は槍のようになっており、深くリィコを串刺しにした。
「――!」
 そのまま、いつの間にか眼前に居たアルデアに杖を引き抜かれ、リィコは仰向けに倒れた。
「けれど、これは予想以上に良い器になったかもしれないね。だから、殺さないでおいてあげる」
「いったたた……」
 起き上がってきたルゥカは、腕をだらんとぶらさげながら二人のもとへ近づいてくる。
「終わったの?」
「ええ、派手にやられたね」
「うん、びっくりした。さすが私の妹だわ。それじゃあ、持っていく?」
 リィコを担ごうとするルゥカを、アルデアは止めた。
「いや、やめておこう」
「うん? なんでよ」
「効率化だよ」
 アルデアは軽く杖でリィコを小突くと、続けた。
「この子は一人でいても、呪いをその身に溜めるから、僕たちは別の村で、また新しく呪いの器を作ればいい。それだけのこと。この子が生き続けていれば、いずれ再び出会うこともあるでしょう。その時、満たされた呪いの器として回収すればいい」
「それじゃあお別れになっちゃうのね」
「別に今生の別れじゃないよ。たぶんね。ただ、彼女に会うつもりがないなら、会えないかもしれないね。どうかな?」
「ヒュ……ヒュ……、絶対、殺してあげる」
 リィコは、ルゥカに向けて言う。ルゥカとアルデアはこれからも、この世界で惨劇を繰り広げていくのだろう。殺さなければ、止められない
「しょうがないな、待っててあげる」
 ルゥカは笑い、リィコは笑わなかった。
「君が、僕のあげた名前を名乗り続けていれば、僕の劇の役者である限りは、再び出会うこともあるでしょう。それじゃあさようなら、『逆鷺リコ』さん」
「じゃあねリィコ、またね」
 そう言って、アルデアとルゥカは去っていった。
 村は燃え尽き、もはや残骸しか残っていない。
 やがてぽつりぽつりと雨が降り始め、リィコは天に向かって慟哭の声をあげた。
 



終幕
 

 やがて雨は止み、逆鷺リコは村の境界の丘に立っていた。体中に、村に残っていた布を包帯のように纏い、地下にあった呪いを纏った杭や鎖などをすべて回収し鞄に入れている。もはや村にはリコに必要なものは何も残っていない。
 埋葬もしたかったけれど、死体はすべてアルデアが持って行ったのだろう。アルデアの能力は死体も動かすことができるから、利用するつもりなのかもしれない。
 だからリコは、心の中で彼らの魂の平穏を祈ることしかできなかった。彼らの魂の一部は、呪いとしてこの身にあるけれど、それでも、呪いだけがその人のすべてではないから、残ったものがどうか平穏でありますように、と彼女は祈った。

『私たちを、悲劇で終わらせないで』
『最後に、幸せを見せて』
 それはあの時聴こえた声。その気配はもうリコの体に残っていないけれど、それでもリコはその願いを叶えたいと願った。だから、進むことにした。
 
 リコはそれから、自身の纏った布を軽く撫でた。
 リコの体中に空いた穴は、普段は底の見えない穴だが、抉ると血や呪いが際限なく出る。触らなければ、呪いはほとんど漏れないようなので、普通に生きる分には問題はないが、今のリコにはその穴を塞ぐことはできない。
 幸い、首から上には穴は無い。首から下を露出しなければ、むやみに他人にバレることも無いだろう。
 リコは鞄を担ぎ直すと、強くなるために、居場所を手に入れるために、幸せになるために、村の境界を越えた。


 

 そしてリコは放浪の果てに、一人の医者と出会う。
 彼を師と仰ぎ、彼から生き方を学んだリコは、成長し、逆鷺俐己と名乗るようになった。
 その後猟兵に選ばれ、師と別れた俐己は、人生の、愛を、幸せを探す旅へと出たのである。
基本情報
更新履歴
情報
作成日時:
2019/05/12 18:31:40
最終更新日時:
2019/05/12 18:32:29
記述種類:
標準

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