お題:隣同士がいちばん自然

作成日時: 2020/03/12 19:51:34
「いらっしゃいませー!」



一歩足を踏み入れた瞬間鼓膜を揺らす柔らかな女性の声と、鼻孔をくすぐる甘い香り。
慣れない雰囲気に思わず足を止めると、後ろを歩いていた小さな影は、対照的に前へと一歩、二歩。



「すごーい、お洒落なお店だねぇ。
 開店早々話題になっただけあるや」

「……女ばっか」

「あは、まぁ洋菓子店って大体そんなものだよね。
 席どうする? 向こうの方空いてそうだけど」

「どこでもいいが、あー……窓際じゃない方がいい」

「外から見えるから?」

「そう。あ、あの奥丁度空いたな」



お昼のラッシュも落ち着いて、人も疎らになり始めた時間帯。
席を立つ学生4人組と入れ替わりに、奥側のソファ席を確保する。
向かい合わせに腰掛け、隣の空席には荷物を置いて。
澪の隣からちょこんと覗くのは、ここに来る前ゲーセンで取ってやったふわふわ犬のぬいぐるみ。



「タイミング良かったね。もっと混んでるかと思ったけど」

「澪の言う通り、昼は外して正解だったな」

「鉄馬君はこういうとこ来るの初めて?」

「だな」

「そっかぁ……えへへ、なんか嬉しい。
 何頼もっかー。甘いのは平気?」

「余程度を越えてなきゃなんでも食えるし、お前のお勧めでいい。
 あ、飲み物は珈琲で」

「オッケー、ちょっと待っててね」



メニューとにらめっこし始めた澪を眺めつつ、運ばれてきた水を口に運ぶ。
本日付き合い始めての初デート中。
本来なら俺がリードすべきところだろうが、残念ながら俺の行きつけはスポーツ系しか無く。
体の弱い澪でも遊べるもの、と色々考えた結果、2ゲーム程ボーリングした後ゲーセン寄って、昼は澪の好きなところに、とメールで打ち合わせたのが昨晩の話。
いざ案内された場所が思いがけずお洒落で驚きはしたが、菓子好きの澪のことだ、話題の店に興味を持たないわけもなかった。

この後どうしようか、たまには映画でも行ってみるか。
そんな談笑を交わしながら待つこと数分。
運ばれてきたのは珈琲と紅茶、それからティラミスに可愛らしいパンケーキ。
どうやら本日の珈琲のお供はティラミスに決定したようだ。



「珈琲の苦みには合うかなと思って。僕コーヒー飲めないから多分だけど」

「詳しいもんだな。そこまで考えて買ったこともなかったわ」

「この飲み物の風味ならどの味が合うかなーって考えながら頼むの、結構楽しいよ。
 ただ食べたいもの頼むのもいいんだけどね」

「へぇ」



誘われるままにスプーンで一口分掬い取り、口へと運ぶ。
舌先に広がる香ばしい苦味、そしてふんわりとした口当たりと共に溶け出るような優しい甘味。
なるほど、確かに苦めの珈琲にはこれくらいの味が合いそうだ。
だがもう一口……といこうとしたところで、やはり気になり手を止める。



「美味しい?」

「あぁ、美味い」

「そっか、よかった!」

「……お前は食わねぇの?」

「へっ? あっ、いや、食べるよ? 勿論……」



先ほどから感じる違和感。
最初に気づいたのは視線だった。
談笑中から思ってはいたが、やけにちらちらと見られている。
次いで今。
美味しそうなパンケーキを前にしながら、澪はそのふわふわした生地をフォークの先端でつっつくだけ。
もう片手はテーブルの下で、所在なさげにうろついている。



「なにそわそわしてんだよ」

「やー……別に、なんでも……」

「なんだ、便所か」

「ちがっ、違うよばか!」

「じゃあなんだよ」

「うーん……?」



問いかけても首を傾げるばかりで、一向に答えが返らない。
不自然ではあるが、答えを得られないのではどうしようもない。
小さなため息だけ残して再開しようとした食事の手は、今度はため息に慌てた澪自身によって止められた。



「あっ、あのさ!」

「……だからなんだよ」

「えっと……笑わない?」

「笑うようなことなのか?」

「いや……よくわかんない」

「はぁ?」

「わかんないけど! ……隣、行ってもいい?」

「…………」

「黙んないでよ」

「……まぁ……好きにすれば?」

「そっちの荷物貸して」

「ん」



隣に陣取っていた荷物を手渡せば、澪が元々腰掛けていた場所へと収められる。
パンケーキと食器を先に俺の方に押しやってからソファとテーブルの間を通り抜けた澪は、くるりと反転し俺の隣へ腰掛けた。
そこでようやく綻ぶ笑顔。



「ん……落ち着いた」

「なんなんだよ」

「やっぱり僕、鉄馬君なら隣がいいな」

「……あ?」

「んー、美味しい! このパンケーキ癖になりそう!
 姉さんにも教えてあげよう♪」

「…………」



先程までと一転、無邪気な様子でパンケーキを頬張り始める澪を尻目に、考える事暫し。
何気無く発された一言の意味を理解して、次に挙動不審になるのは俺の方だった。
顔の火照りを抑えきれず、片手で口元を覆い隠しながら必死に顔を背ける。
鉄馬君なら隣がいい。
つまりは……そういうことだろう。



「天然かお前」

「ん、なにが?」

「なんでもねぇ。早く食って次行くぞ」

「せっかちー」



体も弱くてチビで非力で、1人じゃなんにも出来なさそうな奴なのに。
今この瞬間、俺は確かにこいつに負けた。
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2020/03/12 19:51:34
最終更新日時:
2020/03/12 19:51:34
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