いつか元の生活に戻れる。いつか、きっと

作成日時: 2020/02/08 21:19:12
人は人の間に生まれる。それは動物も、植物も同じだ。
同族との交わりによって生まれたそれは、新しい同胞。新しい家族になる。そのはずだ。
だけど私は、人と人の間に生まれながら、その人の家族にはなれなかった。
街の隅にあるロッカーに入れられて、そのまま見捨てられた。私の手を握ってくれたのは母親でも父親でもなく、せめてもの慈悲と巻かれた毛布だけだった。
だからだろうか。拾われて孤児院へ送られた時は、何もできなかった。
赤子の時から見捨てられる恐怖を知ってしまった私は、また同じ恐怖を味わいたくなくて、生きることも死ぬことも放棄していた。言葉を喋ることも。這って歩くことも。何かを見て楽しむことも。ロッカーの間から漏れる光と同じだった。

3歳。同い年の子供はまだ本能のままに生きているにも関わらず、私はすぐに自己に目覚めた。
いや、本当は最初から目覚めていたのだろう。
私は孤児院から精神病棟へ行くことになった。
カウンセリングを受け、学習プログラムも受け、寝て、の繰り返し。
カウンセリングのおかげで私は生きることへの希望を知った。同時に精神病棟での生活の苦しさに新たな絶望を身に染みて感じた。
学習プログラムでこの世の社会を学んだ時、私の両親は貧乏だったのだと感じた。私を育てるほど、力がなかった人だった。単純にそれだけ。そう思い込んで、涙を流した。
私は生まれながら死んでいた。
天国にも地獄にも行けなかった魂は煉獄にて浄化され、天国へと行く。まさにカトリック教でいうそれと同じだった。
だからだろうか。たまたま見ることができたテレビに映っていた、ヒーローに憧れた。ヒーローはこんな私も助けてくれるかな?その日から私は白馬の王子様を待つ、貧しい少女にすり替わった。

7歳の頃に王子様は来た。王子様というよりも、おじ様というべきだったかもしれない。
後々私の主人となった彼は、その時はまだ高校生だった。ただし、この世界でいう"ヒーロー"でもあった。名前は────。将来投資家経営を目指しているという、富豪の息子だった。
奴隷趣味で私を飼うのだろうか。最初はそう思っていた。お金持ちに良い印象はない。童話やテレビの中では、いつも嘲笑のネタか悪の権化だった。けどそれは世間知らずの明。私の生活はそこから強制的に変わった。
まず、メイドにされた。意味が分からなかった。
7歳の私に、どうして富豪の小間使いが務まるのか。彼を問い詰めたかったが、趣味だと一蹴されたその翌日には、学習プログラムの方がマシだと思えるほどの教育を受けた。
掃除、洗濯、料理、家事、作法、言葉遣い……ありとあらゆるメイドに必要な知識を叩きこまれた。
私を引き取った本人から。……普通は別のメイドが教えるパターンだろう。

11歳。小学生に通いつつメイドの勉強をしていた私は、いじめを受けた。
孤児院育ちだということ。それがなぜか低学年の生徒からバレていた。バラした少年がわざわざ指を差して「貧乏人は学校に来るなよ」と言われたので、殴り返した。
なぜかその日、主人は勉強会を開いてくれなかった。
翌日、私を馬鹿にした少年が主人の屋敷に来た。
その少年は、私の実の弟だった。

私の両親は確かに貧乏だった。
子供一人すら育てられないほど、力のない人だった。だから廃れたような生活を送って、それで弟ができてしまったらしい。
私と同じように、ロッカーの中に捨てて。
弟は私と違って、最初から引き取り相手がいた。けど相手が最悪だったらしく、弟は性具として扱われていた。学校でプライドの高い姿を見せていたのは、それを隠すためだった。
だから、私の主人は高い金で弟を買い取った。
本当は家族になるはずだった弟が、この歳になってようやく家族になった。

15歳。小学生を卒業した弟もメイドにされた。主人は「メイドに性別は問わない」と言った。……趣味が飛躍し過ぎてるのではないだろうか。
大雑把な仕事を私がこなしてるとすれば、弟は細かな雑用が得意だった。書類仕事が苦手だけど向いていると言われた私と違って、弟は書類仕事が得意だけど向いていない。陰陽のような関係だった。
玄音(くろね)と白亜(はくあ)。黒と白。通りで対立するわけだ。

18歳になった私は、大学に入ることにした。休業をもらって、ご主人と弟と離れることになった。
家族の元から離れるのは名残惜しい。けど少しの辛抱だし、今はネットがある。いつだって繋がれる。
楽しかった生活が遠のくわけじゃない。
卒業して職を得たら、また弟とご主人と一緒にいたい。
私はあの生活が、大好きだった。

寮生活に慣れた頃に、私は突然異世界に招かれた。
最初は何かのサプライズかと思ったが、辺りに生えたキノコやファンシーな植物が本物だと知った時、すぐさま出口を求めた。
いけない。これは夢や何かのドラマではない。逃げなければ何かが起こる。
走ってゆく内に、鏡の迷路に迷い込んだ。
映ったのはメイド姿の私。
反対側を見れば病院衣の私。
右を見るとボロ布を纏った私。
その反対にはお姫様のような姿の私が映っていた。
私自身、寝巻き姿のはずなのに。無数の鏡に映る私の姿は、鏡ごとに違っていた。だから迷う。迷い迷って、ふらふらと歩き、走りそして立ち止まる。
迷路の中で袋小路に、燭台をいくつも飾った大鏡の前に辿り着いた。
鏡ばかりの迷路の中に大鏡。それは金の縁で飾られているおかげか、すぐにその存在に気づいた。不思議なことに、というか当然のことだが、その鏡は私の姿をちゃんと映した。

「だれ?」

かわいらしい声。振り向くと女の子がいた。
鏡に映った幻じゃない。本物の、私とよく似た顔立ちの女の子。その子は入院着を纏い、高そうなぬいぐるみを抱えて私を見ていた。

「わたし**。あなたも”アリス“?」

アリス?私は彼女に聞いた。
どうやらアリスとは、この世界に招かれた人の総称らしい。老若男女関係なく、“アリス”と呼ばれるのだとか。
なら、私もアリスなのだろう。
彼女の質問からして、この子もアリスだろう。
アリスはこの世界のことを教えてくれた。
この世界はオウガという魔物で溢れかえっており、招かれたアリスはオウガの食材らしい。しかしたた食べるだけではつまらなかったのか、アリスをわざと逃がして遊び、アリスたちが恐怖する様を肴にして食う。それがここ、【アリスラビリンス】と知った。
食材として選ばれる理由。それは、

「わたしもあなたも、心に傷を負った人。それを糸に、オウガはアリスをここに呼び寄せる」

心の傷の有無。すぐに思いつくのは、家族に捨てられた記憶。
赤ん坊の時から植え付けられた、家族という絆への渇望。けどそれは、偶然満たされたはずだった。
主人と弟がいて、常に隣にいる安心感が私にとっての安らぎ。心の傷は程なくして埋まった。そのはずだ。
心の傷は癒えている。トラウマなんて抱えていない。そのはずだ。ならばなぜ、私はここにいるのだろう。

「……ふーん、知らないんだ。なら教えてあげる」

女の子は私の目の前で、入院着を脱いだ。
しゅるしゅると布と肌が擦れ、そして露わになった胸元には、大きな穴が空いていた。
そこだけガラス張りになってしまったかのような、大きな穴が。

「心の傷はね、どうやっても治せないんだよ」

女の子がわたしの寝間着を指さす。
同じように脱げということだろうか?……違う、彼女は後ろを指している。
振り向いて、そして私は後悔した。
傷が治らない理由。私がここに招かれた理由。
私が、わたしに嗤われている理由。

「あなたの傷は、生まれた時からずっとあるんだ」

迷路の奥にある大鏡。そこに映っていたものは、首から下が透明な私だった。

逃げ出した。今度は鏡の迷路から。私は逆走した。
首から下が存在しない。そんなわけがない。手と足は見えている。寝間着だって着ていた。感覚もある。鏡の床を踏みしめている感触だって。
右を見れば首から下のない私が映った。
左を見ても同じだった。
上も、下も、前も後ろもどこを見ても目を背けても目を瞑っても、私の心の傷を鏡は映し出す。
とてつもない吐き気がし、転げてそのまま吐いた。不思議な事に、吐しゃ物は透明だった。
転げるようなものがない鏡の床なのに。どうして転んだのか後ろを見れば、足がどんどん透明になってゆくのを見てしまった。私が、鏡の私のように消えてゆく。
嫌だ。右手を動かそうとして、無いことに気づいた。左腕はもう消滅していた。視界が少しだけ斜めになって、最後に呼吸ができなくなったのを感じた。
消える。消えてしまう。
あの日、ロッカーの中に閉じ込められたように。光を失って、消えてしまう。
嫌だった。あのまま暗い世界に囚われてしまうのが、とてつもなく怖かった。その恐怖をもう一度味わえというのだろうか。

私は、生まれたのが間違いだったのだろうか。
私は、生まれたことで誰かの邪魔になったのだろうか。
答えは両方ともだ。
生まれたことで、両親の愛を邪魔してしまった。性狂いの父と母の間に産まれた私は、二人の邪魔になった。だから捨てられたのだ。
当然と言えば当然だ。快楽の中に新しい命など不要。ただその渦に身を委ねることが目的であって、繁殖が目的ではないのだから。
だから私は捨てられた。
抱きしめたいのは赤子の私じゃなくて、愛をぶつけることができる相手だから。

そんなことあってたまるか。

赤子に不条理を押し付けるな。
産んだからには責任を取れ。
私は生まれたくて生まれたわけじゃない。生まれたから生きてゆくしかなかった。
そんなに子供が邪魔なら、避妊くらいすべきだったはずだ。それとも「ちょっとくらい欲しい」という安易な気持ちで私を産んだのか。
今更何を考えて私を産んだのかなんて知らない。私は勝手に生まれたのだから。
だけど言いたい。言って、吐いて、罵って、そして殺してやる。

私に、不条理を押し付けるな。

私 に 、 不 条 理 を 押 し 付 け る な 。

私の手には、不条理を屠る鉄を。
──確実に殺す。なら銃が一番いい。威力が高く、焼き滅ぼすことができるレーザー砲を想像する。
私の体には、傷を覆い隠す玄色のヴェールを。
──私の体は透明だ。だから見えるように。これを肌と認識できるように。少し恥ずかしさはあるが、認識の問題だ。どうでもいい。
私の心には、たった一つの復讐心を。
──私を産み落とした両親を殺す。必ず消し炭にし、生きているならば何度でも燃やし、私というアリスを生み出したことを後悔させてやる。

「結局、傷を増やすだけなのに」

その前に、この鏡を叩き割る。
私と似た姿の女の子。否、あり得たかもしれない違う世界の私。
彼女に質問する。あなたは、どうして私の前に現れたのか。

「私はね、赤子のまま死んだ世界のあなた。骸の海で育って、この鏡の中で生を許された存在なの」

少女は告白する。

「だから知りたかったの。あのまま奇跡的に生きることができた私は、どんな人生を送ってるんだろうって」

首から下が透明な少女は笑顔で答えた。
彼女が"生を謳歌することすらできなかった私"だとすれば、私は"生を謳歌することができた彼女"なのだろう。
ロッカーの中で息絶えた彼女にとって、私の人生はすごく羨ましく見えたのだろう。波乱万丈で、ご都合主義で、幸せに溢れていて……満たされていたように見えたのだろう。

「だからさ、私と入れ替わってよ。私に、あなたの人生をちょうだい」

──彼女にとって、私こそが不条理に見えたのだろう。
私は、躊躇なく引き金を引いた。





アリスラビリンス。あの世界で見たオウガは、両親と似ていた。
快楽のために手段を選ばない、獣の姿。
首を斬り伏せ、腹を裂いた時に見た、人の亡骸。それはかつての私の姿に似ていた。
まるで餌になるためだけに生まれた、哀れな迷子の姿。

本当は両親を殺すためだけの力だったのに。
似ている。何もかも。だから有り余る力を使い、助けることにしたのだ。
かつて主人が私に手を差し伸べたように。今度は私がアリスに手を差し伸べて、希望を見せてあげなければならない。
ヒーローのように……かっこよくはないと思うけど、それでも。同じ不条理に抗って、生きていく意思を見せるために。生きていいんだよと肯定してあげるために。

──もう二度と、私のような復讐者(アリス)を産ませないために。

19歳になった日を境に、私は大学を辞めた。
主人に辞表を出し、弟には「旅に出るから」と告げた。
あの日、あの世界で鏡のオウガを倒した時、私はグリモアに目覚めたのだ。オブリビオンを駆逐する猟兵になった今、これまでの暮らしを捨てなければならなくなった。
これからは猟兵として、オブリビオンを、オウガを屠り続けるのだろう。
恐らく大学生活よりも長くなる。もっと言えば、主人と弟に二度と会えなくなるかもしれない。
これも不条理と言えば、不条理だ。
だけどオウガほどではない。
いつかオウガを全て滅ぼし、世界中のアリスが平穏に暮らせる世界になるまで、私は戦い続ける。
そうすれば、またあの温かい生活に戻れるはずだ。

私が生まれた時から求めた、家族との生活。

いつか元の生活に戻れる。いつか、きっと。