いつか元の生活に戻れる。いつか、きっと

作成日時: 2020/02/08 09:10:32
人は人の間に生まれる。それは動物も、植物も同じだ。
同族との交わりによって生まれたそれは、新しい同胞。新しい家族になる。そのはずだ。
だけど私は、人と人の間に生まれながら、その人の家族にはなれなかった。
街の隅にあるロッカーに入れられて、そのまま見捨てられた。私の手を握ってくれたのは母親でも父親でもなく、せめてもの慈悲と巻かれた毛布だけだった。
だからだろうか。拾われて孤児院へ送られた時は、何もできなかった。
赤子の時から見捨てられる恐怖を知ってしまった私は、また同じ恐怖を味わいたくなくて、生きることも死ぬことも放棄していた。言葉を喋ることも。這って歩くことも。何かを見て楽しむことも。ロッカーの間から漏れる光と同じだった。

3歳。同い年の子供はまだ本能のままに生きているにも関わらず、私はすぐに自己に目覚めた。
いや、本当は最初から目覚めていたのだろう。今となっては、無理やり私を生かしてくれた孤児院の先生には感謝しかない。けど憎悪もある。
私は孤児院から精神病棟へ行くことになった。
カウンセリングを受け、学習プログラムも受け、寝て、の繰り返し。
カウンセリングのおかげで私は生きることへの希望を知った。同時に精神病棟での生活の苦しさに新たな絶望を身に染みて感じた。
学習プログラムでこの世の社会を学んだ時、私の両親は貧乏だったのだと感じた。私を育てるほど、力がなかった人だった。単純にそれだけ。そう思い込んで、涙を流した。
私は生まれながら死んでいた。
天国にも地獄にも行けなかった魂は煉獄にて浄化され、天国へと行く。まさにカトリック教でいうそれと同じだった。
だからだろうか。たまたま見ることができたテレビに映っていた、ヒーローに憧れた。ヒーローはこんな私も助けてくれるかな?その日から私は白馬の王子様を待つ、貧しい少女にすり替わった。

7歳の頃に王子様は来た。王子様というよりも、おじ様というべきだったかもしれない。
後々私の主人となった彼は、その時はまだ高校生だった。ただし、この世界でいう"ヒーロー"でもあった。名前は────。将来投資家経営を目指しているという、富豪の息子だった。
奴隷趣味で私を飼うのだろうか。最初はそう思っていた。お金持ちに良い印象はない。童話やテレビの中では、いつも嘲笑のネタか悪の権化だった。けどそれは世間知らずの明。私の生活はそこから強制的に変わった。
まず、メイドにされた。意味が分からなかった。
7歳の私に、どうして富豪の小間使いが務まるのか。彼を問い詰めたかったが、趣味だと一蹴されたその翌日には、学習プログラムの方がマシだと思えるほどの教育を受けた。
掃除、洗濯、料理、家事、作法、言葉遣い……ありとあらゆるメイドに必要な知識を叩きこまれた。
私を引き取った本人から。……普通は別のメイドが教えるパターンだろう。

11歳。小学生に通いつつメイドの勉強をしていた私は、いじめを受けた。
孤児院育ちだということ。それがなぜか低学年の生徒からバレていた。バラした少年がわざわざ指を差して「貧乏人は学校に来るなよ」と言われたので、殴り返した。
なぜかその日、主人は勉強会を開いてくれなかった。
翌日、私を馬鹿にした少年が主人の屋敷に来た。
その少年は、私の実の弟だった。

私の両親は確かに貧乏だった。
子供一人すら育てられないほど、力のない人だった。だから廃れたような生活を送って、それで弟ができてしまったらしい。
私と同じように、ロッカーの中に捨てて。
弟は私と違って、最初から引き取り相手がいた。けど相手が最悪だったらしく、弟は性具として扱われていた。学校でプライドの高い姿を見せていたのは、それを隠すためだった。
だから、私の主人は高い金で弟を買い取った。
本当は家族になるはずだった弟が、この歳になってようやく家族になった。

15歳。小学生を卒業した弟もメイドにされた。主人は「メイドに性別は問わない」と言った。……趣味が飛躍し過ぎてるのではないだろうか。
大雑把な仕事を私がこなしてるとすれば、弟は細かな雑用が得意だった。書類仕事が苦手だけど向いていると言われた私と違って、弟は書類仕事が得意だけど向いていない。陰陽のような関係だった。
玄音(くろね)と白亜(はくあ)。黒と白。通りで対立するわけだ。

18歳になった私は、大学に入ることにした。休業をもらって、ご主人と弟と離れることになった。
家族の元から離れるのは名残惜しい。けど少しの辛抱だし、今はネットがある。いつだって繋がれる。
楽しかった生活が遠のくわけじゃない。
卒業して職を得たら、また弟とご主人と一緒にいたい。
私はあの生活が、大好きだった。

21歳の日、私は突然異世界に招かれた。
最初は何かのサプライズかと思ったが、辺りに生えたキノコやファンシーな植物が本物だと知った時、すぐさま出口を求めた。
いけない。これは夢や何かのドラマではない。逃げなければ何かが起こる。
走ってゆく内に、鏡の迷路に迷い込んだ。
映ったのはメイド姿の私。
反対側を見れば病院衣の私。
右を見るとボロ布を纏った私。
その反対にはお姫様のような姿の私が映っていた。
私自身、寝巻き姿のはずなのに。無数の鏡に映る私の姿は、鏡ごとに違っていた。だから迷う。迷い迷って、ふらふらと歩き、走りそして立ち止まる。
迷路の中で袋小路に、燭台をいくつも飾った大鏡の前に辿り着いた。

──どうしてこの世界に招かれたの?
私にもわからない。
──どうして元の生活を求めるの?
あの時間が、一番家族と生きていると思えたから。

鏡は質問をしてきた。
だから私は素直に答えた。

──どうして選ばれたと思う?
選ばれた?何に?この世界に招かれた理由かしら。
──そうだよ。君が選ばれた理由、それはね。

「だれ?」

振り向くと女の子がいた。
鏡に映った幻じゃない。本物の、私とよく似た顔立ちの女の子。その子は入院着を纏い、高そうなぬいぐるみを抱えて私を見ていた。

「わたし**。あなたも”アリス“?」

アリス?私は彼女に聞いた。
どうやらアリスとは、この世界に招かれた人の総称らしい。老若男女関係なく、“アリス”と呼ばれるのだとか。
なら、私もアリスなのだろう。

──この子は誰だと思う?
また鏡が質問をする。彼女の答えからして、この子もアリスだろう。
アリスはこの世界のことを教えてくれた。
この世界はオウガという魔物で溢れかえっており、招かれたアリスはオウガの食材らしい。しかしたた食べるだけではつまらなかったのか、アリスをわざと逃がして遊び、アリスたちが恐怖する様を肴にして食う。それがここ、【アリスラビリンス】と知った。
食材として選ばれる理由、それは、

「わたしもあなたも、心に傷を負った人。深い深い傷」

傷。すぐに思いつくのは、家族に捨てられた記憶。
赤ん坊の時から植え付けられた、家族という絆への渇望。けどそれは、偶然満たされたはずだった。
主人と弟がいて、常に隣にいる安心感が私にとっての安らぎ。心の傷は程なくして埋まった。

「えぇ。えぇ。わたしには埋められなかった傷。だけどあなたにはもう一つ、傷があるわ」

女の子が入院着の胸元をずらした。首から下がない。胴にあたる部分が透明で見えなかった。
手と足は入院着から伸びているのに。

「わたしはあなたが埋めることができた、絆の傷にオウガは惹かれた」

絆の傷。それが彼女がここに訪れた理由なら。
わたしはどうしてここに訪れた?
過去を振り返る。ロッカーに捨てられ、孤児院に引き取られ、そこから精神病棟で数年を過ごし、両親がわたしを育てるほど力がなかったことを知った。
……違う。両親は、弟を産んだ。弟は生まれて同じように捨てられて、違う親の元で虐待されつつも私の元へたどり着いたはず。

「両親は性狂いだった。だからセックスに邪魔な二人も捨てたの。けどわたしは──」

わたしが生まれた時、お父さんとお母さんはちゃんと育てようって決意したの。