サヨコさんの経歴

作成日時: 2023/06/26 01:43:16
※絶賛編集中
※可能な限り公式設定とすり合わせようとしてはみていますが、アンオフィに踏み込んでいる箇所があります

1937年1月25日:
横須賀にて洋食屋を営む家庭で、人間として出生。
当時の名前は「朝倉・陽菜子」(あさくら・ひなこ)だった。
年の離れた兄に次ぐ第二子であり、家族全員からお姫様のようにかわいがられて育つ幼少期だった。

1942年8月:
前年から出征していた兄が戦死。
零式英霊機としての復活に成功するものの、すぐに前線勤務に移されており、家族との接触は僅かだった。
だがその短い時間の中で、陽菜子は戦死と転生を遂げた兄と、彼を生きた神のように称える両親の姿を瞳に焼き付けた。
そうして、零式英霊機への強い憧れを心に刻まれることとなるのである。

1943年2月:
両親が肺結核により立て続けに死亡。
陽菜子は当時すでに一部で始まっていたBCG接種を受けており無事だった。
しかし兄からの便りはなく、祖父母も既に亡くなっており、さらに親戚筋も遠く離れた呉にしかいない八方塞がりの状況に陥る。
結果、陽菜子は6歳にして孤児として生きることを余儀なくされた。

1943年3月:
幸か不幸か、頼るものがない生活は意外と早く終わりを迎えた。
孤児の保護を名目に活動する憲兵に発見され、官営の孤児院に収容されたからだ。
そこは身寄りのない子供に海戦装姫の訓練を施して出征に導き、戦死後は零式英霊機とする施設だった。
近代国家の常識として、少年兵が動員されることはない。
ヤ・ウマトの艦船は「海戦で破壊される」のが目的であり、それ自体による勝利を必要としていないことや、
小柄な子供は狭い艦内にも容易に詰め込める点から、このような異常がまかり通っていたのである。

1943年4月~1946年3月:
兵士としての基礎教育を受けた陽菜子は、そこで思わぬ才能を開花させ、順調に必要な能力を身に着けていった。
6歳で訓練を受け始めた彼女は、小学校尋常科相当の教養学習を含めて育成に5~6年を要すると考えられていたが、僅か3年で全課程修了の認定を獲得。
中学生に相当する年齢の少年少女を同輩として、神奈川県沖に出征することとなる。
なお、両親から受け継いだ料理の腕前もこの時期に片鱗を見せており、野営や航海の訓練時に炊事当番になると大人気だった。
この時期の陽菜子は零式英霊機への憧れを強く抱いており、戦場の悲惨さやヤ・ウマトの真実も知らない。
それゆえに無垢な愛国心や能力への自負を募らせていき、零式英霊機や復讐者となってからの自己認識の間に、大きな落差を生むこととなる。

1946年4月~5月:
ヤ・ウマトにおける1946年とはすなわち、最終人類史における2022年。
ヤ・ウマトとTOKYOエゼキエル戦争の境界地帯では、TOKYO側の境界守護者『黙示録の大悪魔マスターテリオン』がまだ存命だった。
陽菜子が乗艦したのは、このマスターテリオンと対決する冥海機のための支援艦隊である。
この時、陽菜子を含む幾つかの「優秀かつ小柄である」(=生存に要する空間や酸素量が少ない)兵士に、特殊な任務が与えられた。
彼女たちは潜水艦型の海戦装を支給され、アークデーモンと冥海機の戦闘の隙を縫って、TOKYOエゼキエル戦争側への渡航・上陸を試みようとしたのだ。

結論から言うと、この作戦は失敗に終わった。
マスターテリオンとその配下のアークデーモンによる防御の分厚さは、海の下を潜り抜けられるようなものではなかったからだ。
ヤ・ウマト軍部も本気で作戦を成功させるつもりはなく、その事実を確かめること自体を目的としていたのかもしれない。
また、5月1日に新宿島の復讐者と初めて接触したマスターテリオンが、今まで以上に警戒心を強めた事実も作戦の失敗を決定的にしたことだろう。
トループス級『海魔デビルフィッシュ』に絡みつかれ、海を赤く染めるマスターテリオンの『穢れし冒涜の血』に呑まれ、朝倉・陽菜子の生涯は終わった。
この時のトラウマが残っているため、現在もタコやイカが食べられなくなっている。

1946年6月:
戦死した陽菜子の魂は何らかの方法(たぶん攻略が進んだらわかるだろう)で回収され、横須賀の工廠で零式英霊機へと定着させられた。
通常の英霊機素体は定着した魂に合わせて容姿が形成されるが、この時に用いられたのは、初めからある人物の姿に似せられた特製のもの。
その人物とは『月鏡・小夜子』(つきかがみ・さよこ)──抜刀術の宗家に生を受けた軍高官の父と、母を名乗る冥海機との間に育った少女である。
(以下編集中)