サヨコさんの経歴

作成日時: 2023/06/25 23:31:15
※絶賛編集中
※可能な限り公式設定とすり合わせようとしてはみていますが、アンオフィに踏み込んでいる箇所があります

1937年1月25日:
横須賀にて洋食屋を営む家庭で、人間として出生。
年の離れた兄に次ぐ第二子であり、家族全員からお姫様のようにかわいがられて育つ幼少期だった。

1942年8月:
前年から出征していた兄が戦死。
零式英霊機としての復活に成功するものの、すぐに前線勤務に移されており、家族との接触は僅かだった。
しかしその短い時間の中で、サヨコは戦死と転生を遂げた兄と、彼を生きた神のように称える両親の姿を瞳に焼き付け、零式英霊機への強い憧れを心に刻まれることとなる。

1943年2月:
両親が肺結核により立て続けに死亡。
サヨコは当時すでに一部で始まっていたBCG接種を受けており無事だった。
しかし兄からの便りはなく、祖父母も既に亡くなっており、さらに親戚筋も遠く離れた呉にしかいない八方塞がりの状況に陥る。
結果、サヨコは6歳にして孤児として生きることを余儀なくされた。

1943年3月:
浮浪児の保護を名目に活動する憲兵に補導され、官営の孤児院に収容される。
そこは身寄りのない子供に海戦装姫の訓練を施して出征させ、戦死後は零式英霊機とする施設だった。
近代国家の常識として、15歳未満の少年兵が動員されることは原則的にない。
しかしヤ・ウマトの艦船は「海戦で破壊される」のが目的であり、それ自体による勝利を必要としていないことや、
小柄な子供は狭い艦内にも容易に詰め込める点から、このような異常がまかり通っていたのである。

1943年4月~1946年3月:
兵士としての基礎教育を受けたサヨコは、そこで思わぬ才能を開花させ、順調に必要な能力を身に着けていった。
6歳で訓練を受け始めた彼女は、小学校尋常科相当の教養学習を含めて育成に6年を要すると考えられていたが、僅か3年で全課程修了の認定を獲得。
中学生に相当する年齢の少年少女を同輩として、神奈川県沖に出征することとなる。
なお、両親から受け継いだ料理の腕前もこの時期に片鱗を見せており、野営や航海の訓練時に炊事当番になると大人気だった。

1946年4月~5月(最終人類史2022年):
この時期、神奈川県沖においてはまだ

1946年の5月に戦死、6月に零式英霊機に転生、冥海機ヤ・ウマトの1947年6月→新宿島の2023年6月に転移
・健全な精神にしたくないので孤児になったのは早期にしたい
 理由はどうする?
・施設の中でも最年少、さすがに他は中学生ぐらいの年代が中心
・子供たちを駆り出す理由は「小さい方が船に詰め込みやすいから」
・抜刀術は転生後の家庭由来